演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

盆と正月と誕生日とクリスマスが同時にやってきた!

めでたい!今宵は本当にめでたい!
何がそんなにめでたいか?


2011年、僕が東京ノーヴイ・レパートリーシアターに入団し、アニシモフ氏に師事し始めてそれから5年、今日初めて後輩ができたのです。

 

うちの劇団はそうそう簡単に俳優を採らないのだけど、本当に才能のある青年が二人入ってきました。

 

しかもそのうち一人は僕が東京にステイするときにいつも居候させてもらってる友達の瀧山真太郎(通称:文豪)で、そんな人間が同じ志を共にする場に来てくれて、僕は本当に、こんなに嬉しいのはいつ以来だ?!というくらい嬉しいのです。嬉しいなんて感情、久しぶりに心から感じています。

 

僕はかれこれ5年も劇団のいちばん若手で、しかも上の先輩となると10年先輩、みたいな人ばかりなので、稽古の合間にメシ食いにいくのでも気軽に誘える人いなくて、正直とても寂しくて孤独だったのだけど、これからはいつでも思いを語り合える、哀しいときは一緒に哀しめる、喜びは百倍分かち合える仲間ができました。

 

 

 

 

彼との出会いは前職の営業仕事の現場で、新人としてそこに入ってきた朝のことは今でも鮮明に覚えている。

 

その職場では新人にあだ名をつけるのが慣例とになってて、しかも天才的にあだ名をつけるのが上手い通称ダイナマイトというプロレス好きでロックンローラーのマネージャーがいて、で、彼につけられた名前が「文豪」だった。

 

「新人を紹介します、文豪!」

 

と聞かされた瞬間、

 

(言い得て妙!!IPPON!!)

 

と僕は心の中で爆笑したのを今でも覚えている。それくらい、太宰治芥川龍之介か、みたいな風情をしている青白い顔をした青年だった。

 

幸か不幸かその営業会社はその一年後解散になるのだけどその直前、彼と帰り道が一緒で、東京は世田谷、梅が丘にある公園で、ひょんなことから当時僕が撮影して編集した、うちの劇団の演劇学校「スタニスラフスキー・アカデミー」の、アニシモフさんの講義風景をiphoneで見せたら、

 

「こうじさん、おれ、ここ入ります」

 

となんと最初の2分観て彼は即決でアカデミーに入ったのでした。

 

そして一年後。

 

その年のアカデミーの卒業公園で、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」をやることになり、当時僕は息子が産まれたばかりで、仕事と家事と育児に追われる日々の中とても観劇しに行く余裕はなかったのだけど、奇跡的にパートナーが「行っておいで」と言ってくれて、観に行った。

 

付け加えると、当時の僕はけっこう人生のどん底というか、人生最悪と言ってもいい精神状態で、絶望とまではいかないまでも自分という人間の尊厳を相当失っていて、自分なんか30歳くらいで死んでたら人様に迷惑かけずに済んだのにと精神的に自傷する日々で、そんな心持ちの中、下北沢のホームシアターに足を運んだ。

 

ちなみに、卒業公演というのは、言ってみれば新米たちの発表会みたいなもんで、あくまでも演じる俳優達の実践の、訓練の延長線上にあるものだから、観る側としては、温かい目で、応援する気持ちで観るもので、僕もそんな気持ちで後輩の文豪を応援するために劇場に入った。

 

 

そこで観たものよ。そこで観た人間よ。

 


幕が開いて、彼が舞台に登場した瞬間、

「え....!えーーーー!」

と、驚きと共に僕はえも言われぬ喜びが全身にこみ上げた。彼は僕が知っている彼ではなく、ワーニャ伯父さん(主役)としてそこに生きていて、そのぶっきらぼうで不器用で猥雑で低俗な目、歩き方、素行、それら全部がなんともいえない人間臭さを醸し出していて、僕は松田優作ばりに「なんじゃこりゃー!」とわなわな驚愕していた。

 

チェーホフ劇ってのはそもそもスローな演出が多いのだけど、新米の俳優達が焦ってカタチだけにならないようにと、ゆっくり目の前の相手役とちゃんと対話できるようにと、さらにさらにスローテンポな演出の芝居で、四幕全体で四時間半くらいの長丁場だった。けど、まったく長いと感じなかった。

 

そこでちょっとした事件。

 

四幕が始まる直前、開くはずのない劇場の扉が開いて、そこに作家の田口ランディさんが入ってきた。

 

「アニシモフさんいますかー?」

 

ランディさんはアニシモフさんと大の仲良しで、たまたま下北沢に来て、アニシモフさんに挨拶でもしてこうと劇場に立ち寄ってくれたのだけど、そこで偶然、卒業公演をしていたので観るハメになったのだった。そこでランディさんも僕と同じく驚愕する。ブログにも感想を書いている。 

「演劇の素人が、すごいことをやってのけていた」

そんなことを書いていた。
そして感銘を受けたランディさんは、長年の夢だった(らしい)女優をやるために、翌年、アカデミーに生徒として(周りには身分を隠して)入学することになる。

 

僕も客席で芝居を見終わって、そもそも後輩を応援しにきた僕は、彼からとてつもないエネルギー、生きる勇気をもらったのだった。救われた、といってもいいくらいのものをもらった。

 

物語の最後、ワーニャの姪のソーニャが、ワーニャに言う。

 

「生きていかなきゃ、生きていきましょう」

 

セリフ、ちょっと違うかもだけど、僕に伝わっている戯曲のメッセージとしてそんなものを僕は確かに受けとった。

 

その彼はアニシモフさんにも見初められて、劇団にスカウトされていたのだけどちょっと迷っていて二の足を踏んでいたのだけど、先日行われたうちの劇団のロシア凱旋公演、ドストエフスキー「白痴」を観て衝撃を受け、入団を決めたのだった。

 

で、今日、正式に調印もして、入団決定。めでたい。これはめでたい。全人類的にめでたい。太陽系も銀河系も超えて全宇宙的にめでたい。

 

 

「どうせやるなら、良い意味で野心を持ってたいっす」

と文豪は言う。

「Boys be ambitious、やな」

とかっこつけて僕が言うと、

「なんすか、それ?」

と言われ、

「少年よ、大志を抱け、や」

と、かっこわるくも翻訳した。

 

 


少年よ、大志を抱け。

青年よ、書を捨て街へ出よ。

 

 

 

 


音が聴こえる

何かの足音が聴こえる

タッタッタッタッタ

リズミカルな小気味よいその足音

こっちに迫ってくるような

あっちに遠ざかっていくような

心臓の音にも似たその音

チクタク チクタク

時計の針とともに

その音は宙に刻まれる

 

ラララ

ラララ

小さな女の子のハミング

朝を告げる鳥の声

小川のせせらぎ

葉を揺らす風の声

 

 

澄んだ音が聴こえる

遥か遠くから

高く遠くまで

誰にも聴こえず確かに聴こえるその音

その音が僕を促進する

自分では賄いきれない弱々しい僕を

立ち上がれ立ち上がれと勇気づける

 

 

 

 

 

いやーーーー!

めでたい!

とにかくめでたいぞ!!

盆と正月とクリスマスと誕生日と文豪が同時にやってきたぞーーー!!!

 

 


只今深夜2:22、

彼はいま僕の目の前の磨りガラスの奥でウンコをしている。

こうじさんすいません、紙をとってください、と言っている。

 

 

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世田谷/街の灯

東京に滞在する時にいつもステイさせてもらってる世田谷の近所に、すごく味のあるおじさんが30年以上やってる「街の灯」という半畳ほどの、味のあるクレープ屋さんがある。

 

おじさんは役者で、若い頃からずっと役者で、同時にそのクレープ屋さんを毎日午後3時になると開けていて、街の子ども達や学生や主婦の憩いの場となっている。そのクレープ屋さんに、久しぶりに顔を出した。

 

「お、久しぶり!芝居がんばってる?」

「こないだロシアで公演してきました、ものすごくいい感じです!」

 

いつ会っても超絶グッドバイブスなおじさんは、世界の至る所にいる、誰にも知られず世界を支えている偉人だ。

 

「蜷川さんも亡くなられたし、新しい世代ががんばらないとですね」

「蜷川さんと言えば、うちのクレープ屋に子どもの頃から通ってた子がいて、横田栄司っていうんだけど、蜷川さんとこでずいぶん世話になってたね」

「横田栄司さん、、なんか聞いたことあります」

「こいつなんだけどね(と言ってフライパンの脇に置いてある新聞を出す)」

「あっ!この人!10年くらい前に小栗旬が主演したカミュの”カリギュラ”に出てました!いい役者さんだなあと思ってすごい覚えてます」

 

 

アルベール・カミュの「カリギュラ」、10年くらい前に小栗旬がブレイクした頃に情熱大陸で舞台裏が撮られていて、気になりつつ観てなくて、半年くらい前にyoutubeで観た。人生で最悪の時期、自分のしょうもなさにブラックホールがあったら入りたいくらい参ってたときに観た。小栗旬、あんまり興味なかったのだけど、カリギュラの彼は正直凄くて、灰皿投げるので有名な蜷川さんが、一つもダメ出ししなかったらしい。その舞台でもう一人、いい味だしてたのが横田栄司さんだった。あとシン・ゴジラで主演した長谷川博己さんもいた。


熊本引っ越す前も僕はこの街に二年くらい住んでて、この街の、まさに街の灯であるクレープ屋さん、おじさんが若者だった頃に少年だった横田さんがおじさんに憧れてなのか俳優を志し、彼は大きな舞台に出演するようになり、その舞台に救われた自分がいて、今おじさんのクレープ(ミルキーチョコ)を食べていて、この世界はすごいなあ、と思う。中島みゆきの「糸」みたいだな。


僕もいつかあんなおじさんになりたいと思う。

 


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理想主義者、夢想家の出番ですよ!

心身ともに澄み渡り過ぎていてすこし怖い。
一秒一秒が惜しくて、もしかして自分が思ってるより自分の持ち時間は残り少ないのか・・・とか思ってしまう。

 

でもそれは残りの寿命がどれだけであっても、本当は変わらないのだろう。何よりも大切で代えが効かないのは、自分の時間であり人生なんだ。だとしたら、自分にしかできないことを探求して、それを発見したならば明るみに出し、それを助長し、一点集中することこそが、世界全体にとって最も良いことだろうと思う。

 

 

粉を溶いてつくるカフェオレが温かくて、PCから聞こえる青葉市子の歌声が切なくて、キーボードがトランポリンみたいに弾みがよい。思考も感性も近年になく冴えている。こんなときは、こんなときにしかできないことに、針の穴を通すみたいに集中したい。

 

それは何か?

 

いつか創る、演出家としての初舞台、その構想。
まだ目には見えなくとも僕だけに見えているその世界、そこに生きる人々の姿、彼や彼女の感情と人生。そして偶然そこに居合わせる観客、まだ荒削りな舞台をじっと見守る何百の目、そしてカーテンコールで聴こえる拍手の音、最後尾で観客に紛れている自分。

 

「この世界はすべて夢なんだよ」

と、ドストエフスキーは言っている、書いている。

「夢の中で見る夢、それが逆説的な現実としての舞台」

と、演出家のアニシモフさんは言う。

 

だとすれば、いい夢見ようじゃないか。自分にしか見れない夢、描けない夢、具現化できない夢。そのときそれは現実で、自分じゃない人達の目や耳にも届くものになる。それはすごい所業だ、人間にしかできない、人間としてなし得る、最も困難でありながら幸福に満ちた業だ。


僕が人生で唯一人、一目惚れした作家がいて、ウィリアム・サローヤンという、第二次世界大戦前に活躍したアメリカの作家で、彼の第二作「君が人生の時」をいつかどうしても演出したいと思っている。それは個人としての思いだけでなく、今の世界、今の日本に強く要請されているとも感じる。

その前文を記す。

 


君が人生の時に、生きよ。そうすれば、やがて、その善き時の中に、君の人生にとりまた君の人生の触れる他の如何なる人生にとりても醜悪なるもの、死なるものは影をひそめていくであろう。如何なる場所にも善なるものを求めよ。そして、それを発見したならば、その隠れたる場所より明るみに出し、それを自由な、自ら恥じざるものとせよ。物質や肉体にはなるべく重きをおくな。そうしたものは必ず死すべきものであり、消滅すべきものなのであるから。総ての物事に輝けるものを、腐敗を超越したるものを発見せよ。如何なる人間の裡にも美徳を見出し、それを助長してやれ。それは世の中の汚辱や恐怖の為に人にも気づかれぬような所に、悲しみの中に、余儀なく埋もれていたかもしれないのだ。分かりきったことは無視するがよい。それは明敏なる眼、温情ある心には値しないものだから。如何なる人にも劣等感を感じてはならぬ。また如何なる人にも優越感を抱いてはならぬ。この世の人間は誰だって皆君自身のヴァリエーションに過ぎないのだということをよく銘記せよ。如何なる人の罪も同時に君自身の罪に他ならず、また如何なる人の潔白も決して君自身に無関係なるものとは云えぬ。悪徳と不遜はこれを侮蔑せよ。しかし、悪徳と不遜の人間を侮蔑してはならぬ。これは、よく理解すべし。親切で温情ある人間たることを恥ずるなかれ。しかし、もし君が人生の時に、人を殺すべき時が来たとすれば、殺すべし。決して悔いることなかれ。君が人生の時に生きよ。そうすれば、その不可思議なる時の中に、君は世の悲惨や不幸を増すことなく、その限りなき喜悦と神秘に微笑を投げかけるであろう。


ここには人として大事な事のすべてがあると感じる。少なくとも僕にとって。僕にとってはお父さんみたいな人。
20人近い人物の人間模様によって、このキーメッセージが物語化されている。


この戯曲は、1941年、大恐慌から世界が泥沼と化していき、すでに世界大戦の気配が色濃かった頃に書かれた。サローヤンは言う。

「政治家同様、芸術家もまた、世界の成り行きに対して責任を持っている。戦争が始まってしまったとしたら、その責任は芸術家にもある。それを押しとどめる力を芸術は持つにも関わらずそれを果たせなかったのだ。そして戦争は始まった。始まった以上、私は楽観主義を貫く。始まったものはいずれ終わるのだ。芸術が兵士の発砲を止められないにしても、彼が故郷に戻ったとき、彼の心を癒すものに、彼の息子や娘に歴史を伝え得るものにはなるだろう。」


カウントダウンは紛れもなく始まっていて、その数字がいくつかは分からないが、刻一刻とその時は迫っている。
僕たちはその時計がアラームを鳴らす前に止めることはできるだろうか?可能性はあるはずだ。だとしたら、僕らの心の奥深くに潜む、戦いや争いを望む感情、子どもの頃に刷り込まれた、シューティングゲームやアクション映画に影響された闘争本能や破壊衝動、そういうものの存在にちゃんと気づいて、それを拳や銃ではなく、山の湧き水を掬う掌や野花を摘む指として使いたい。


こういうこと書いていると、自分はつくづくロマンチスト、現実から剥離した人間だなあと思うけど、もはや現実がフィクションみたいに馬鹿げたものになった以上、理想主義者はその理想を語るときではないか?僕はちゃんと二本の足で立っている、足の裏は土の感触をちゃんと感じている、丹田にも力は入っている、胸はときめく、喉元は言いたい事を言う準備をしている、二つの目は遠く遠く、地平線や水平線の向こうを見据える。


大丈夫、間違いなどない、大いに失敗すればよい、そこから学べばよい。ただ前に進む勇気、内にあるものを外に出す勇気、そういうものを携えて。


今日は体育の日、あと、目の日(10と10を横に並べると目みたいになる)とか言いますね。なんかそんな日。

 

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ピロシキとウォッカ、赤の広場と白い大地

劇団のロシア遠征の記録映像の編集にとりかかる。一つにはご支援頂いたパトロン/スポンサーの方々に御礼としてお見せするため。もう一つは100年後200年後に俳優を志す人々のため。

 

大袈裟かもしれないけど、現代演劇の祖、スタニスラフスキーが日々の稽古や公演の記録を事細かに記し残したことが僕たちに方向性を示してくれているように、僕らの足跡もまた後世に生きる演劇芸術家の助けになるかもしれない。

 

 

モスクワのホテルのロビーのテレビで偶然放映されていた、ボブディランの曲がオープニングの映画が記録に残っている。そのテレビの下、公演を終えた俳優達は疲れ果てて眠っている。その映画の中、ケネディは暗殺され、少女は兵士が構える銃口に花を挿す。かつて冷たい戦争をしていたアメリカとロシア。そして日本もまたかつてロシアと戦争をした。時は流れ、歴史は移り変わり、人間はそれぞれの持ち場で生きていく。

 

古都ウラジーミル、首都モスクワで撮った、数え切れない、見切れないほどな映像を見直す。

 

誰かにとってはくだらないものでも、確かにここにはかけがえのないものがある。本当に善きもの、本当に美しいものというのは決して多くはない。

 

映像には残し得ないものの尊さを知るからこそ、僕らは舞台に立つ。しかしそれでも、映像に残すべきものがあるとも思う。

 

 

ロシアの演劇祭に招聘された、それはすごいことだ、しかしそれが何なんだ?ってずっと考えていたけど、やってみないと分からないこと、やってみれば身体で分かることがある。

 

 

つい1か月前までロシア行きを諦めていたけど、思い直して参加を決めて、本当によかった。いつか行きたかったロシアに僕は行ってきた。この身体をそこに置いてきた。あの大地とあの雲、ピロシキとウォッカ、赤の広場とモスクワ芸術座、観た芝居と観せた芝居、喜びの涙と悔しさの涙、たった9日間に永遠のような時間が詰まっていた。

 

 

まるで雲をつかむようであったロシア公演、この雲を踏みしめて、そこから高くジャンプする。高く高く手を伸ばす。神様が手をとってくれるくらいの高さへ。しかしちゃんと人間として。

 

 

 

ここからは独り

 

もう引き返すことはない

 

連れ合いは誰もいない

 

心を強く持て

 

ここにはすべてがある

 

ここには誰もいない

 

だからこそ尊いのだ

 

そしていつか誰かに届く

 

その時ようやく安堵するのだろう

 

そしていつか見た白く広大な大地のベッドで

 

温かな数々の思いに包まれてこの世界を去りたい

 

 

 

 

 

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演出家に必要な資質とは。

俳優に最も必要な資質は「注意力」。集中力と言い換えてもいい。

では演出家に最も必要な資質とは何だろうか?
師匠である演出家アニシモフはこう言う。

「観察力」

6年前に参加したアニシモフさんの演出家WSで、街でいろんな人の歩き方を観察し、そのなかから3人の歩き方を選び、やってみせるという課題があった。

その時驚いたのは、人間、ひとりひとり、他の人とは全く異なる歩き方のクセを持っているということだ。こんなこと、こんな課題でも課せられない限り気がつかない。

そして俳優にとって、舞台上でどんな歩き方をするかということは、観客に強い印象を与える。

俳優にとっても観察力、洞察力は必要な資質なのだろう。つまり、いずれにしても磨くべき資質。


では他にどんな資質があるだろう?思いつくままに列挙してみよう。


舞台を二次元の動く絵画として見るような、視覚的美的センス。うーーーん、最近服装に全く無頓着になってたけど、久しぶりにお洒落でもしよう。

挿入する音楽や音響、進行する物語を推し進める、テンポとリズムの感覚。これは有難いことに幼少期からピアノやバイオリンを習っていたおかげで既にかなり洗練されている。

戯曲に秘められた謎に対する好奇心と探究心、それを解き明かす知性と感性、どれだけ時間がかかっても解き明かすまで諦めない執念と忍耐。神としての作家への純粋な尊敬の念と忠誠心。

俳優に稽古をする能力全般。大前提としての人間への信頼。人間という種への希望と絶望。集団を率いる統率力。

何のために舞台を上演するのか?という本質を明確にする、世界や社会への認識と全人類的な課題を抽出する、魂レベルの直観力。

人間のあらゆる側面、あらゆる性質に対する、洞察、それに対して善い悪いなしに見定める受容性、それを表現してみせる身体能力。

 


・・・・

 


ギャーーーーー!!!!!

 

こんなのスーパーマンじゃないか!!!

 

 


だからこそ、30年後に上演する芝居から逆算して、自分が磨くべき資質や能力を日々積み上げていかねばならない。


気分や感情に惑わされず、野球少年が素振りするみたいに、ボクサーが毎朝ロードワークするみたいに、バスケ部だった中学時代に毎日50〜100本のシュート練習したみたいに、熟練度を高める訓練を自分に課そう。

 

やるぞ、やると言ったらやるぞ。

只今深夜3:52。

寝るぞ。

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ロシア凱旋公演の終わり、新しい始まり

先月の36歳の誕生日、申年の年男として、新たな一年を思ったとき、本当にうつくしいものを見続けていたいな、と思った。

その10日後、ロシア演劇祭への出典のためにロシアへ渡り、自身としては初の海外公演、劇団としては初の国際演劇祭への参加、そこからの怒濤の日々。そして昨晩、ロシアからの凱旋公演、ドストエフスキー作「idiot~白痴より~」の公演を終え、劇団として未来への試金石であったプロジェクトにピリオドを打った。

劇団として、集団創造としては想像を遥かに上回る大成功だったけど、一人の俳優としては悔しい、苦虫を噛み潰す経験もした。その一つが、凱旋公演の前日の稽古であまりにも自分の演技が悪く、急遽降板になったことだった。

最初は、チームが勝つためなんだから仕方ないと納得してたのだけど、その夜寝られず結局朝まで寝付けず、「あ、悔しいのか」と気づいた。

とはいえ公演を成功させること以上に大事なことはないし、少し仮眠し、自転車で渋谷の劇場へ向かった。

一日限りの公演なので早朝に小屋入りし、急ピッチでセットを組み、初めての劇場で音響/照明を数時間かけてチェックし、衣装も程々にリハーサルをし、そして僕は裏方・黒子として持ち場についた。あくせくしながら舞台セットの裏にスタンバイした瞬間に、「あれ?」と妙な違和感を覚えた。

「なんでこんなとこにいるんだっけ?」

観客の溢れる大劇場で俳優ではない立場で開演を待ちながら、セットの裏で順序に従って作業を進め、舞台に立つ前のプレッシャーも不安も恐怖もなくその安全な領域で、「あれ?なにやってんだ?」という感情が湧き上がった。そして気づく。ああ、これは自分が選んだこと、自分が望んだ結果なのだ。僕は舞台に立ちたくなかった。怖かった、努力してこなかった、誤魔化し誤摩化し、いまここにいるのだ。

今にも幕が上がりそうなときに、暗闇の中ひとりうなだれ、これはまずい、どうしよう、開演までに気持ちを整理しないと。大きく息を吐いて、自分に問う。

「今本当に大事なことは?」

答えはすぐに出た。
公演の成功。観客の魂に届く舞台を全員でつくること、それが彼や彼女の心、明日からの生活に何らかの影響を及ぼし、そんな一つ一つがつながってこの世界がより良い場所になること。よし!

そして幕が開く。圧倒された。劇団として過去最大の劇場空間で、黒子である自分の数メートル先で、俳優たちは皆自分の人生を生きていた。谷川俊太郎さんの詩「生きる」みたいに生きていた。儚くて美しい光景だった。

そして一瞬のような三時間の舞台が終演、カーテンコール、一階席、二階席から降り注ぐ拍手。そして特別に演出家アニシモフさんからの挨拶があった。

「この作品はロシア国際演劇祭に招聘されそのために演出し直した舞台で、その凱旋公演として上演しました。そしてロシアで公演したもう一つの作品、『古事記』を観たロシアの著名な映画監督が終演後にポスターにメッセージを書いてくれました。皆様への敬意をこめて、その言葉を贈ります。『偉大な民族の偉大な芸術』。皆さん、今日はありがとうございました。」

創設から16年の長い時をかけて、有機野菜のようにじっくりゆっくりと育てられてきた俳優と舞台、その集合体としての劇団、その一つの到達点としての舞台。一番後入りの僕の知らない時代、劇団設立当初は1~2人しか観客が来ないこともあったらしく、観客より出演者の方が数が多いこともざらだったそう。今日の公演もつい数日前まで100人ちょっとしか予約がなかったにも関わらず、幕を開けてみれば劇場を埋め尽くした4~500人の観客とその拍手。

今年3月に上演したブレヒト作「コーカサスの白墨の輪」のある台詞を思い出す。

「奇跡ってのはな、信じる者にだけ訪れるんだよ。」

ほんとうに、奇跡のような夜だった。三十歳を過ぎて巡り会ったこの道で、迷いながらつまづきながら歩んできたこの道で、こんな夜があったことを、いつか道を逸れそうになったときにきっと思い出せると思う。

ロシアで、日本で、劇場に足を運んでくれた観客の皆様、公演を支えてくれた劇場の皆様、ロシア公演プロジェクトを支援して下さったパトロン/スポンサーの皆様、あとドストエフスキー様、八百万の神々の皆様、ありがとうございました。自分の目的地目指して、亀みたいに地道にがんばります。 

 

 

 

蛇足ながらもう一つの奇跡を。
凱旋公演の前日のこと、劇団の先輩の仕事先レストランにロシア人のお客さんが来て、接客時、日本に何しに来たのですか?と尋ねたのだそう。すると、こんな答えが返ってきたそうです。

「先週モスクワで、日本の劇団の”古事記”の公演を観て感動し、いったいどんな国なんだろうとこの目で見たくて来たんです。」

 

 

新しい何かが始まる音。

 

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ロシアから帰国して腹くくる

ロシア公演を終えて日本に帰ってきて、まるで9回投げ終えたピッチャーがボールを握りしめるような、3Pシュートを放った瞬間にネットを揺らすことを確信しているような、そんな手応えがある。

演劇という、本当には結果の測定できない世界に身を投じて、ここには二択しかなくて、信じるか、信じないか、それしかなくて、その狭間で揺れてきた5年間だったけど、演劇大国ロシアでの公演を終えて、やはり一生を捧げるに値するものだと確信した。

大金を得たわけでもない、誰かから直接賛辞を送られたわけでもない、それでも、自分の納得感がある。生きている中でどうしようもなく感じる空しさや虚無感を空に打ち消すような、そんな風が吹いている。何百年も前から吹いてきて、何百年も後まで流れていく、そんな風が吹いている。

自分が選び、身悶えしながら歩んできた道は間違ってはいなかった。誰に何を言われても、こっちだ、こっちだって自分に言い聞かせながら進んできた方角は間違ってはいなかった。生きる意味のある場所にちゃんとたどり着いていた。

高杉晋作が、人生は酔狂だ、芝居を演じてるみたいなもんだ、というようなことを言っていた。シェイクスピアは、この世界は大きな劇場で全ての人間は役者だ、って言っていた。それがよく分かる。

ロシアに行ってからも迷いは消えず、国際演劇祭に招待されたと言ってもそんなのただの名前に過ぎない、それに自分が呼ばれたわけでもない、いったい自分に何ができるんだ、できることなんか何もないんじゃないか、ってずっと思ってだけど、それは所詮甘え、巧妙な言い訳、自分という人間に開き直って腹決めてそこに存在すればそれは誰にも揺るがせないんだと知った。

最後の夜、アニシモフさんに思いを告げてみた。

「ロシア公演、つい一ヶ月前まで参加を諦めてたんですが、ロシアの舞台に立てて本当に良かったです。出国直前の稽古で自分の力量に絶望して自分はもう俳優続けられないんじゃないかって思いましたが、どれだけ歩みが遅くても何十年かけても辿り着きたい場所があると分かりました。がんばりますのでよろしくお願いします。」

アニシモフさんは答えてくれた。

「役者としての技術なんてものはつまらない、そんなものは私は好きじゃない。大事なのは人格なんです。舞台に立った人間がそこでどう存在しているか、何を思い何のために生きているのか、何と戦っているのか、それに観客は心を惹かれるのです。こうじさんの成長段階の中でいま、あなたは何が真実で何が真実でないかを見分ける目を持ちました。それをあなた自身が形象化させるのが次の段階です。単なる役者なんてものらつまらない、どうか芸術家になって下さい。」

きっと迷うこともまたあるだろうけど、いまのこの気持ちと、アニシモフさんの言葉、ロシアの観客が聞かせてくれた拍手の音、そしてなんのために生きるのかという主題、そういうものを忘れずに、少しずつ少しずつ前に進んでいきたい。いつか辿り着いて、自分だけの頂から見える景色が、自分以外の誰かにも見えるように、この心を育みたい。

がんばれよ、おれ。

 

 

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