演劇芸術家として
今日で32歳になった。
これを機に、演劇芸術家として言葉を書いていこうと思う。
芸術ということ、
芸術家ということ、
きっと一生かけて追究していくのだろう。
演劇芸術を志すことは、ある意味、出家するようなものだと思っている。
俗世間の中で、しかも人前で、しかもしかも決められた時刻に、時間内に芸術をやってのけるという仕事。
一生をかけるに値する。
きっと僕はまだ、この仕事のことを知らない。
演劇ということを知らない。
それは宇宙に飛び立ったことのない宇宙飛行士みたいなものだ。
ましてや、芸術ということも僕は知らない。
摂取したことはあっても、他人に届けたことはまだないのではないか?
画家は絵筆が、
音楽家は楽器が、
その芸術手段であるが、
演劇においてのそれは「行動」である。
Actorとはよく言ったものだ。
だから僕は行動する人間になろうと思う。
それはビジネス書や自己啓発書なんかがよく言う「行動あるのみ」みたいな意味での行動ではなく、本当の意味で人間的な行動のことである。
僕は行動する人間であろうと思う。
自分が生きてることすら忘れるほど、他人に向かうのだ。
他人を殺しかねない程の真剣さで、自分を生かすのだ。
行動することは、いつだって命懸けのはずだ。
だからこそ生命の息吹が腹の下からつきあげるのだろう。
演劇芸術の向かうところは真実、
戦うべきは嘘、
僕は本当の言葉で話す人間になりたい。
本当のところ、本当の言葉しか他人には届き得ない。
本当のところ、嘘をつくというのは不可能な行為だと思っている。
いつだってお天道様は見ているし、何より自分が見ているのだ。
もうすぐ新作の稽古が始まる。
ドイツの古典作家ブレヒトの「コーカサスの白墨の輪」という作品だ。
戦争がモチーフとなっているこの作品の上演によって、シリアの内戦を止めたいと、演出家のアニシモフさんは言う。
僕はそれが可能だと信じる。
僕の行動一つと、地球の反対側での戦争はいつだって因果関係でつながっている。しかもリアルタイムで。
だから僕は本当の自分でその舞台に立ちたいと思う。
本当の自分で、本当の言葉で、本当の行動を。
今日で32歳、
今日という日がいつかの何かの原点になる。