演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

葛藤について

いま演劇が最高におもしろい。

娯楽ではなく、芸術としての演劇が最高におもしろい。

 

今日の稽古で演出家のアニシモフさんが言った。

「昨晩の稽古のあと、帰り道一人で歩いていて、私は思った。私はまったく自由ではない。そのために稽古場も、俳優も自由でいられていない。」

 

僕から見ると、雲の上の存在で、

演劇芸術の化身のようなアニシモフさんが、

私は不自由だ、と言った。

 

アニシモフさんがロシアの国立劇場で演出をしていたときの話をしてくれた。

「ある日私は、俳優全員を集めてこう言いました。皆さん、今日は一晩中くだらないことを思いっきりやりましょう。その一晩でその時創っていた舞台の、あらゆる全てが変わった。全てを壊して、全てを創り変えた。朝を迎えてみんなヘトヘトで、でもその朝、私はなんだか酒に酔ったような心地で家路を歩いていた。その時のことを私は今、思い出す。」

 

アニシモフさんは、演劇以外の人生を持っていない。

幼い頃から演劇に囲まれて育って、

演劇大学を出て、ソビエトの公務員として25年間国立劇場で演出家として仕事をして、

10年間日本で僕たちに演劇を教えてくれている。

そのアニシモフさんが「私は自由ではない」と言う。

つまり、自由に向かって今も激しく戦っている。

 

 

そのアニシモフさんが、今回の新作で、

僕に書く仕事を与えてくれた。

実際はそれが舞台に使われるかどうかは分からないから、

試させてくれているだけだけど、そういう機会をくれた。

それは僕が見る夢の一つ。いつか戯曲を書くこと。

 

日記やブログや随筆ではなく、戯曲。

今やっている作業は、既にある台本の改筆だから、

まったくゼロから創造する作業ではないのだけど、

天才が書いた戯曲に作家の視点から触れるという

人生で初めての体験をしている。

 

端的に言うと、そのシーンの全登場人物を知るということ。

全員の視点、考え、感情、行動を知るということ。

俳優として役作りをする際は、一登場人物の視点で全てを体験するから、

相手役の視点には、あえて立たない。

しかし、台本をいじる以上、全員を自分に通すプロセスを省略はできない。

しかもだ。その台本は50年100年という歳月を生きる、天才の作品なのだ。

生半可な関わり方をしたら、全てが崩れさるし、それは今は亡き大作家への侮辱になる。

 

とか、、なんか真面目くさったことも考えるが、

今とにかくその作業がおもしろい。書くという仕事がおもしろい。

書くということを通して、自分の不自由さと戦っている。

自由とは何かということを何百回と自分に問う。

 

そしてその作業はまだ始まったばかりなのだけど、

ほんの短時間の間に、人間という生き物への愛情が深まっていくのを感じる。

ほんとにどうしようもなくて、くだらなくて、見栄っ張りでバカで愛おしく感じる。

 

じゃがりこを食べながらこれを書いている。

明日は5時半に起きて、7時からバイト。

行きたくないなあ。演劇をやっていたい。

でも僕には演劇で生活の糧を稼ぐ力量がない。

すとい単純な葛藤だけど、ものすごいジレンマだ、それは。

 

いったい書くという仕事に立ち向かった人間のどれくらいが、それでパンを食べることができたろう。

いったい描くという仕事に立ち向かった人間のどれくらいが、それでメシを食うことができたろう。

 

そして演劇芸術は、世にあまたある職業の中でも五本の指に入る、食うのが難しい職業だ。

ではそれで食うことは諦めて、割り切ってやるか?

しかしその時、他に仕事をしなければならないなら、

時間という人生で最も貴重な資源を失うことになる。

では、チケットが売れやすい、観客を動員しやすいエンターテイメント性のある演劇をやるか?

それは極端に言えば、魂を売り渡すことだ。

結局、落としどころなどない。

 

うちの劇団の団員は、みんな発泡酒を買う。

僕はそれをすごく温かく感じると共に、すごく切なく思い、しかし気高く思う。

他に行くところなんてない不器用な人たちだけど、勇敢な人たちだと思う。

 

「生きるように舞い、舞うように生きた」

とは世阿弥の言葉。

 

踊るために生きることを追究し、

生きるために踊ることを追求する。

演劇も同じだと思う。

 

 

僕はアニシモフさんに師事して演劇を学んでいる。

そしてアニシモフさんの師匠はスタニスラフスキーだから、

僕はスタニスラフスキーに学んでいるということでもある。

 

スタニスラフスキーは、二つの本を遺した。

「俳優の仕事」

「芸術におけるわが生涯」

 

芸術におけるわが生涯、ってのは、

すなわち芸術に捧げたわが生涯ってことだと思う。

 

スタニスラフスキーは言っている。

「芸術の中の自分ではなく、自分の中の芸術を愛しなさい。」

(逆だったかも・・・)

 

うん、逆だったかもしれないけど、つまり言いたいことは、

芸術を自分の人生の手段とするのではなく、

自分の人生を芸術の手段とするってことだ。

芸術という指揮者にこの身を委ねて、舞台に立つってことだ。

 

 

そこで、だ。

では、舞台の外での自分はどうなんだろう?

ただの一人間としての自分。

芸術にこの人生を捧げるとき、他の色々なものを犠牲にしなければならないのだろうか?

 

どうなんだろう?どうなんだろうか?

というか、僕はどうしたいんだろうか?

 

 

僕は、なにひとつ犠牲にはしない道を選びたいと思う。

なにかの為に何かを犠牲にしなければならないなんて、僕は嘘だと思う。

それは、言い訳だと、僕は思う。

 

 

ガイアシンフォニーに出演した伝説の自転車乗り、

ツール・ド・フランスを3度制したグレッグ・レモンのエピソードを思い出す。

彼はヨーロッパ人以外で初めてツールを制した翌年、

不慮の事故で散弾銃を全身に浴びてしまう。

100発を超える銃弾を身体に浴び、99%死ぬであろう今際の時に彼が思ったことは、

自転車のことではなく、家族のことだった。

 

「ああ、これでも大好きな自転車には乗れないな・・ってことは不思議なことに少しも思わなかった。思ったことは、ただ、家族に会いたい、ってことだけだった。」

 

実際には、家族と過ごす時間を犠牲にするような自転車人生だったと思う。

でもその道の際際のところで、死を意識した時に思うこと。

それが家族だったってことは、正直今の僕にはまだ分からない。

たぶん、それほどに僕はまだ演劇に立ち向かっても取り組んでもいないのだと思う。

 

 

今日の稽古でアニシモフさんが言ってた。

 

ブレヒトの新作舞台を創るにあたって、この1年間で何千回と自分に問いかけたことがあります。それは、この戯曲の全人物の、すなわちこの作品の”葛藤”とは何か?ということです。そこで人間が、自分の中の何と戦っているか?ということ。寝ても覚めてもそのことを考え続けた。一人で泣き叫んだり、喚いたり、拳を握って手のひらに血が滲むほど、思索を続行した。それはとんでもなく孤独で苦しい仕事だった。しかし、私が皆さんに伝えたいことは、私はその中でこそ、本当の意味での創造の喜びを感じていた、ということです。その中にしか、創造の喜びはないということなんです。」

 

 

僕はそんな強大な葛藤を、まだ知らない。

 

僕の知っている葛藤。

20代前半で友達と会社と作ったとき、

企業でお金を稼ぐってことと、社員が幸せでいるってことを、

何をどうやっても両立できなくて、気が狂うほど葛藤した。

くるりの「マーチ」って曲を聴いて自分を奮い立たせていた。

毎日毎日20時間働いても、その矛盾を解消できなくて、

その会社をたたむってこと以外に答えは見いだせなかった。

 

6年前、僕は逃げたのだろうか?

利益を上げ続けて、会社を存続させられていたら、

僕は戦いに勝ったと言えただろうか?

 

分からない。分からないけど、きっと、親友だった社長は僕の100倍葛藤していたんだろうな。今なら分かる。彼はその会社のために沢山の友達を失った。僕は一生彼の友達で居続けて、死ぬまでありがとうってことを伝え続けたいと思う。できれば演劇を創ることによって。

 

 

なんか脈絡なく思いつくままに書いてるけど、

作家って、本当はもっとすごいんだろうな。

僕は作家になれるかな。

わからない。今はトライし続けるだけ。

その過程で、創造の喜びが立ち現れんことを願います。

 

今日は台風。

晩ご飯は焼き鳥。

明日はバイト。

行きたくねー(><)!