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演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

稽古徒然

12月の新作稽古が華僑に入っている。新しい芸術が産声を上げる、臨月。その痛み。有機的なものは、時間をかけて、エネルギーが注がれて、望まれて、産まれる。

思う事がたくさん色々在る。

「役」という奇跡。配役ってのは常に運命だ。なぜか人生のそのときに必要なように、ある役が与えられる。自分にとっても、作品にとっても、観客にとっても。主役だろうが、脇役だろうが。それは人生もそうだと思う、自分という役柄と役割。

今回ブレヒトの新作ではいわゆる脇役をやっている。主も脇も糞もないのだが、まあ一般的にいってちょい役。野球で言うと5回裏にピッチャー交代登板して、2人からアウトとって降板、くらいの。試合全体への影響力は、そりゃあ先発や四番バッターよりは小さい。しかし、必ず必要なのだ。それは世界のすべてにおいてそうだ。

コーカサスの白墨の輪」は50人以上の役のある群像劇。ふつーの人々のお話。いつの時代にもどの国にもいるふつーの人々が、ある状況下に置かれたときのお話。ここでは一言しか話さないような人間がよりその存在を際立たせる。それがないがしろにされるなら、それはとてもつまらない世界だ。やさしくない世界観だ。だから僕は自分の役を誠実に無邪気に元気よく生きたいと思う。

一方、自分の無力さを思う。脇役であることもさながら、経験の浅さ。劇団にとっても世界にとっても勝負時の今に、なんだこのへなちょこは、って思う。しかしシロウト桜木は言ったぜ「今の自分にできることをやろう」これだと思う。

話は変わるが、楽屋っておもしろい。舞台裏。出番前の役者の緊張感、舞台から戻ってきたときの「やっちまった顔」や「ドヤ顔」やいろんな顔。これは客席よりもおもしろいのではないか?しかし自分も余裕ないからね。にしても人間ドラマだ、生の。

また話は変わり、先輩達の献身的な姿に心打たれる。みんな夜遅くまで、無償でいくらでも働く働く。お金にならないことにつぎこむエネルギーのその大きさと純粋さよ。演出家への信頼と、仲間への愛情なんだと思う、月並みだけど。僕には、後者が足りないなあと思う。これまでずっと仲間しかないみたいな人生だったのに、なぜ今できないのだろう?なんで一匹狼もどきをやってるんだろう?あと10日間で僕は僕に立ち戻れるかな?

 

リアルタイムにはちゃんと分からないけどさ、きっと自分の全人生においてとても核心的な時間だと思っている。今が。二十歳までと思って未成年を生きて、三十歳までの人生と思って二十代を生きて、そして今、百歳まで生きるつもりでいながら「今」に賭けている。それは大きな変化だし、その自分を好きだと思う。

 

そして自分のいなくなった世界を想う。それは20階立てのマンションの部屋の光を遠くから見ながら、みんなの個々の生活を愛おしく思うような、感情。みんなおいしく夕飯を食べていますように。家族や友達との温かな時間を。好きな音楽やマンガや、愛のあるセックスや柔らかいお布団やコタツに蜜柑。カンタンな日々ではなくても、たまにであっても素晴らしい時間、他人の存在を心から愛しく思って感謝する瞬間、生きる喜びを。

 

うむ、僕はまじめすぎる。力ぬいてこ。明日の稽古も、ふざけよう。叱られるまでふざけよう。よし。おやすみ。