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演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

アンサンブル、演出家という産婆さん

昨日まんが「リアル」を読んだ。主人公の戸川が、成長の速度を望むあまり、個としの能力を伸ばそうとがんばるあまりにチームから浮き、歯車が噛み合わなくなるというような話があった。なんだか今の自分に重ね合わせた。

なんでだろう?僕は自分でがんばろうとするクセがある。自分がなんとかしよう、と。芝居のことや家族のことや、ひいては世界全体のことさえも。ルーツはどこなんだろう?

とにかく、これじゃだめだな、って思ってたら、今日は楽隊の稽古に作曲家の後藤さんが来てくださり、アンサンブルをつけてくださった。素人の楽器弾き三人なので、まあ大した事ないのだが、その上で三人を一つにしようと色々手を尽くしてくださった。

芝居全体の稽古もそうだ。一人一人が自分で役を創らないことには始まらないが、それが集まったら、全員で有機的な一つの作品に自分を捧げる。バスケやサッカーと同じと思う。全員がチームの勝利を願うから、自分を捨ててそこに貢献しようとすることができる。

そして芸術作品は一個の命を持っている。8ヶ月もかけて50人が心血注いできたんだ。そこには魂がある。もう宿っている。あと10日で、それはこの世界に生まれでる。初日に劇場に訪れる、観客の助けを借りて、その生命の目的にむけてこの世に出る。

それはもう、一人の人間と同じで、生まれる必要があったから生まれてくるもの。むりやり誕生させられるものでも、利益のために作られる機械でもない。そのことをとても愛しく思う。

「演出家は産婆だ」とアニシモフさんは言う。作家は父親で、俳優が母体。役の人物と自分という個性との融合によって一人の人物の形象が生まれる。それが何人もより合わさって、一つの物語、作品が生まれる。それが自然なかたちで生まれてこれるように助けるのが演出家だと。すごいな。

今夜の稽古はアニシモフさん抜きでやったのだが、それはもうカオスだった。指揮者の不在がオーケストラをここまでバラバラにするかと驚いた。椅子に座ってくれているだけで、全員の魂が震えるのだ。そういう存在。先生はもう60歳。先生がいつかこの世からいなくなったら、僕らはどんな風に創造活動をするのだろう?僕らは魂を受け継いでいかなくてはならない。アニシモフさんほどの天才的な資質はないかもしれないけど、一人一人、そこに立ち会った責任とお役目がある。僕は・・・

とまあ先の事はおいとくにして、天才的な作家ブレヒトと天才的な演出家アニシモフさんと一緒に仕事ができるなんて、最高に幸せだし光栄なことだ。たぶん僕はそのことの大きさを今はまだちゃんと分かってない。それは魂が開かれてないからだと思う。

「KOJIは自分を止めてる、そんな必要はない」と今日言われた。分かってるだろ、というような顔で。僕は何を、なぜ止めてるのだろう?まあだいたい分かる。が、どうやったらいいのか分からないのだ。しかしいずれにせよ、自分を捨てることだ。何かのために、誰かのために。そのとき逆説的に超人的に自己中になり無邪気になり、最高潮に楽しい、永遠の今が訪れるだろう。それはけっこう近い未来。経験の年数ではない。プロサッカー選手は、10歳のときも30歳のときも変わらずサッカーに夢中だったろう。かけがえのないのはそのことだ。ドリームタイム。起きながらにして夢を見るのだ。人生という夢の中で、夢を見る。夢の中の夢。そのときそれは現実だ。

よし、寝よう。明日は久しぶりのお休み。ゆっくりしよっと。