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演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

自分に詰まってる栓

新作舞台の劇場に入って4日目。朝から晩まで毎日稽古してちょっと疲れがでてきてるけど、自分の身体と心の内部でなにかが起き始めてる、生まれ始めてる感触が在る。

お昼休憩に外で唐揚げとおにぎりを食べた。すごい青空で、うっすらした雲が形を変えながら素早く流れていた。イチョウの黄色と空の青がすごくきれいだった。自然というものはいつでもどこでもきれい。人間も本当はそうなんだと思う。

演技というもの。人間の自然を科学したもの。大人になって、もう一度物心つくまえの子供にもどること。今日は演出家に「素でやりなさい」と言われた。「自分が観客だと思って舞台に棒立ちしてればいい」と。それは、きっとアニシモフさんのお葬式で思い出すような金言であったと思う。

最近繰り返し言われているのは、「まじめにやるな、無邪気にやれ」「色をつけるな、単純にやれ」「楽しんでやれ、自分を止めるな」とかである。演劇を始めて間もない僕は、先輩たちとは違う風に稽古つけられてると感じる。まるで、じっくりと土を耕されているような感覚。化学肥料は使わない。急いで成長させることはさせない。それは人間存在を信じている者の成せるわざだと思う。

最近ははっきり言って伸び悩みというか、道に迷ってるかんじだけど、ぜったいに必要なプロセス。スポーツでも楽器でもそうだ。本番近いし焦るけど、焦って得することは1ミクロンもない。

 

あと、劇団の緊張が高まってくる中で、集団創造というものを見ている。内側で。バスケでもバンドでも、学祭ですらそうだったけど、その極み。こういうことが世界のあらゆる場所でできたらなあと思う。大変だけど、きっと善くなるだろう。

そして舞台裏のドラマに感動する。楽屋や舞台袖で起きている人間劇場。それは舞台上よりもむしろオモシロいのではないか。一人一人の俳優に人生がある。個性があって考えがあって夢があってこだわりがあって。それが交錯して生まれるものがある。しかし馴れ合うことはしない。それは一人一人が芸術家であらねばならないからだ。孤独な人間の集団。どこまでいっても独り。その寂寥感なくしてはインチキ宗教だ。インチキ宗教知らないけど。w

しかし、自分の無力さを相変わらず嘆く。舞台の上でも、下でも。言い訳か。僕はたぶん自分を信じれていないのだ。なんでだろう?会社でバリバリやってた頃は自信の塊だったのに。なにが違うのだろう?何が原因なんだろう?

経験の浅さ?ちがう。才能の多寡?ちがう。おそらくは、、、怖いのだ。自分の内側にあるものが。その、何が怖いのか?おそらくは、それが受入れられないことだ、周囲の人間に。総スカン食らう恐れ。結局淋しいのだろうか?きっと、恐怖などを凌駕する何かが鍵になるのだと思う。それはたぶん、他人だ。

24歳のとき、生まれて始めて自分を信じる事ができたきっかけは、そのときの恋人だった。25歳のとき、会社で尋常じゃない才能を発揮し始めたのは同僚の病気がきっかけだった。26歳のとき、心臓が破裂するんじゃないかと思うほどのエネルギーを体内に持ったのは、前世での自分の子供との再会がトリガーだった。

じゃあ、今は?

ぶっちゃけ、自分が舞台に立とうが立つまいが、どっちでもいいと思っている。それは良い側面から見ると、自己顕示欲の少なさだし、悪い側面から見ると、自分をぞんざいに扱ってるということだ。いまは、後者の方が大きいのではないか。

では、なぜ自分は必要なのか?自分がいないとき、その舞台はどうなるのか?大して変わらないんじゃと、やはり思ってしまう。そんなはずはないのだけど、そう思ってしまう。会社ではリーダーだった。バンドでは抜けると音が一つなくなってしまう。舞台では?

なんか、そういうチンケなプライドとか、過去のしがらみとか、そういう何か必要ないものが栓になってるんじゃないか。何かを手に入れる必要があるのでなく、何かを捨てる必要があるのでないか。劇団に対しても斜にかまえてるところが多分にあるし、尊敬に反する気持ちをたくさん持っている。

 

昨日の朝、満員電車でビールを飲みながらぶつくさ言ってるじいさんがいた。「近頃の若いやつらは席ゆずること知らねえ。サラリーマンも、働いてることがそんなに偉いのかねえ?」とか言いながら、ものすごい皮肉を連発していた。腹が立ったので「おっさんビール飲みながら偉そうなこと言うなや」って言ったら、「これ発泡酒、一缶190円、ヒゲを剃って出直してこい若造」と言われた。キレそうになったが、話を聞いていると、どうやら隣に居た視覚障害者のために席をあけてあげようという善意からの皮肉だったらしく、そうかあと思って「おじさんごめんね誤解してた」と謝った。しかし次の駅に電車が着いて席が空くと、おじさんは堂々と自分がそこに座ったので(おまえが座るんかい!)と心の中でつっこんだが、もはや笑えた。

 

そして今日の夜、空いた電車で車いすの男と初老のおばさんが口論をしていた。どうやら、優先席付近で携帯をいじっていた車いすの男にペースメーカーをつけたおばさんが注意(おそらく相当皮肉っぽく)したのがきっかけで喧嘩になったらしい。仲裁に入ろうとしたが男に制止され、けんかはどんどんエスカレートし、しまいに車両の端から端まで車いすの男がおばさんを追いかけたあげく追い出した。僕も降りて、次の電車で同じ車両に乗ったところ、おばさんはまたもや優先席付近で皮肉っぽく「携帯やめろー携帯やめろー」って言ってて、また乗客にいやな顔されてたので「おばさんペースメーカーつけてるんですよ」って僕がへこへこしながら説明したらみんな「そうか」という顔をして電源を切っていた。

 

みんな怒っている。相手を通して、何か大きなものに対して。みんな悲しんでいる。それが誰にも分かってもらえないことに。そしてとても淋しい。

 

みんな自分だ。どの男も女も。あの皮肉は、僕のものだ。僕は何か大義名分みたいなものをかさにして、世界をののしっている。人間のアホさ、無関心さ、自分勝手さ、強欲さ、暴力性、、、そのへんならまだしも、知能の低さ、音感やリズム感のなさ、滑舌の悪さ、国語能力の低さ、運動神経の低さ、、、そして僕は条件付きで優越感を持ち、さらに優れた人間に対して劣等感を持つ。これは10代の頃からのパターン。そしておそらくは何千年もひっぱっているカルマ。断ち切るべきカルマ。

 

・・・と、またマジメくさくなってきた。考えても、もう大して変わらんし進まんと、みた。ブルースリーだ。Don't think , just feelだ。

 

よしもういいや。チップスター食べて、寝よ。