演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

演劇習慣をつける

芝居の稽古や本番がない日々の中で、自主的に演劇芸術に関わる時間を作る。

まずはスタニスラフスキーの「俳優の仕事」を毎日少しでも読む習慣をつけようと思う。昨日今日は「想像力」についての章を読んだ。想像力は強いてはいけない。釣り糸を垂らして魚をおびき寄せるように、自分の精神に材料を与え、それが自ら踊り出すのを促すこと。そして俳優のそれは能動的でなくてはならない。そしてまた、意図や方向性を持ったものでなくてはならない。暇つぶしの妄想ではないのだ。目的を持った想像。

そしてまた、役作りも毎日少しでもする習慣をつけたいと思う。今はサローヤンの舞台のダニエルという人物について。彼の主題は「自由」である。それは不自由との戦いとも言える。不自由を前提とした状況において自由を求める行動。それが彼の一本線となるものだ。

 

さて、今日は映画を二本観た。「300」と「英国王のスピーチ」。前者はクソだった。後者はオモシロかった。役がちゃんと創り込まれている人物というのは魅力的だと思った。ちゃんと人生があるのだ。ちゃんと生活がある。だからちゃんと、人間に見える。

そうだ、役創りは、人間創り、一人の人物の創作。神様みたいにゼロから創るわけではないが、自分の人生経験と想像力を材料に、一個のキャラクターを創り上げること。これは改めて考えるとなんと興味深い作業だろう。すごいことだ。また、生半可にできないことだ。うちの劇団は同じ作品を何年もやるから、僕は一人の人物について、彼の生活や人生について何年も時間をかけて、田畑を耕すようにエネルギーを注いでいくことができる。そういう経験を積ませてもらっているというのは宝だ。そして圧倒的に全幅の信頼を置ける師、演出家がいること。これはもう奇跡だ。ラッキー!

 

実生活については相変わらず葛藤の毎日だが、たぶんこの葛藤はハナクソみたいなもんで、実のところ動き出せば容易に解決すると思う。解決というか、動き出すのだ。動き出せばあとは転がる石の如く、物事は進んでいく。今はアクティブなチューニングに自分を持っていくことに注力しよう。最近は考えてばかりだ。人生振り返ると、考え込んで得した経験はない。行動して損した経験もない。青年よ書を捨て街へ出よ、だ。

 

とにかく、自由に生きたいと思う。僕は自由に人生を生きたいと思う。自由すぎて困るほどに。空を飛んでいるのではと錯覚するほどに。まちがいなく自分は天才だと勘違いするほどに。今世界で一番オレが楽しい、と空に叫ぶように。内的にも、外的にも自由でありたい。社会の外でも、内でも自由でいたい。誰に対しても自由で在りたい。自分の内側に居る、まだ自由でない何者かを解放してやりたい。赤子が泣き叫ぶのもウンチするのも自由なように、そんな風に彼を解き放って見守ってやりたい。

日本で生活すると今は決めているわけだから、日本という前提を受入れて自由を追究したい。社会と関わって生きてるわけだから、クソッタレのしがらみと空気の中で自由である方法や筋力をつけていきたい。そこは強く、速く、高くありたい。圧倒的に。

 

人間存在の可能性を追究して、解き放って、そして賛美したい。今は自分もまた奴隷。自分の奴隷。自分で自分に鎖をかけている。鍵をどこかに隠している。それを解くと不都合なことがあるからだ。大変なことになるからだ。それが怖いからだ。人間というメカニズムはほんとにめんどくさい。しかしだからオモシロイ。少しずつほぐして、しなやかに伸びやかに、踊らせてやろう。

 

ではおやすみなさい。