演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

未熟すぎること

だめだ、頭デッカチだ。ここ最近書いてること、ただの思考、ただの論理だ。温度がない。大人。これはたぶん僕の悪いクセだ。

分かる事は、僕は技術と経験においてあまりにも未熟で無力であること。才能についても確信がないこと。不釣り合いなくらい使命感だけはあること。

芸術家というのはいまだよく分からない。起業家とか、旅人とかいうのはすごく実感があった。その時々の自分のアイデンティティだった。でも芸術家ってよく分からない。

例えば天下太平の江戸時代のような時分であればじっくりやってればいいのかもしれないけど、幕末みたいな今、大変な思いをしている人がたくさん居る中で、現状の無力さはちょっと絶望的だ。。

思えば僕の初舞台は3.11の1週間後だった。鬱病で自殺する役だった。こんな時にこんなことやってる場合なのかと一万回くらい自問自答した。被災地に行って、がれき処理の肉体労働してた方がなんぼか役に立つのではないかと。実際それもやった。でもやっぱり、舞台に戻るしかなかったし立つしかなかった。それは一つの宿命だと思った。

やっぱり最低10年くらいはかかるんじゃないか、まともな演技が多少でもできるようになるまで。それまで世界は待ってくれるだろうか、世界は崩壊せずにいられるだろうか。誰にも向かわずに想像力とパソコンに向かうなんて、なんか、どうなのかな。いいのかな。起業時代、どれだけ夢や思いがあっても、実力が追いつかなければ結局負ける、崩壊してしまうってのを目の当たりにした。あんな思いは人生で二度としたくない。そのことを忘れないように身体に印を残した。

あ、分かった。今僕は、ぜんぶ自分に向いてんだな。心が他人に向いてない。外の世界に向いてない。そういうことだ。

外に出よう。とにかくどこかへ行って歩いて人に会って、話して考えて、いろいろトライしてみよう。できれば誰にか叱られたり罵倒されたりするくらいに。それくらいでちょうどいいと思う。

よし、明日は早起きして一生懸命やろう。