演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

役創りという仕事のおもしろさ、サローヤンの芝居の素晴らしさ

今日は、

僕の天職である『俳優』という職業がどれだけ面白く苦しく奥深く、今現在の僕がどれだけこの仕事を楽しんでいるか、という話を書きたいと思う。

今日はもう一つ、

天才と一緒に仕事をする職業がどれだけ面白く苦しく奥深く、今日時点での僕がどれだけこの仕事によって成長させてもらっているか、という話を書きたいと思う。

 

僕が学んでいる演劇芸術は、スタニスラフスキーシステムによるものである。このシステムはロシアで100年以上前に生まれた演劇手法で、それを一言で説明するならば、「舞台上で意識的に潜在意識を開くシステム」である。

だから、このブログにおいても、「書く」という行為に取り組みながら、いかにして潜在意識を開くか、ということを追究してみたいと思う。ただの稽古日記や思索日誌にしないでおこうと思う。

 

今日は久しぶりに稽古をした。1ヶ月ぶりくらいだろうか。5月にやる舞台、サローヤン作の「アレキサンドラ・デュマ以降のアメリカにおける詩の状況」という作品。70年ほど前の古典戯曲。

久しぶりに稽古をして思ったこと。ああ、僕はものすごくこの芸術が好きだなあ、ということ。まず久しぶりに劇場に入って、劇場という空間にドキドキした。まるでそこには想像力による自由が無限大に約束されているような宇宙のような広がりを感じた。そして共演者という存在、集団芸術であるということ。一人で生み出す芸術と比べて、そこには無限大の組み合わせと可能性がある。自分がどうしようもなくヘナチョコな時に、目の前で共演者が奇跡のような演技を見せ、それに触発されて自分が空を飛べるようなときもある。そして音楽、そもそも僕は音楽家(二流)だったので、音楽自体はこよなく愛している。演劇芸術においては、どういう音楽を使うかという側面もあって、生演奏も使えて、これは、ヤバイ。そして照明。光なんて生き物、それ自体で信じられないほど美しいのに、それを意図的に創って舞台を照らすなんて、ちょっと反則とも言える仕業だ。

そして何より「役の創造」という作業。これこそが俳優芸術。俳優が全責任を委ねられる仕事。これはちょっと、おもしろいなんてものではない。そして相当に苦しいところもまた素晴らしい。普通に生活していれば絶対に見たくないもの、思い出したくない過去、記憶からさえ抹殺されたようなトラウマ、そういうものさえ扱う。役を創る、という目的のために。容赦なしにそれが要求される。例えば3.11の震災のとき、僕は鬱でピストル自殺する役の準備をしていたのだが、これはきつかった。こんなことやっている場合か?福島や宮城に行って肉体を動かすボランティアをやる方がいいんじゃないか?って一万回くらい自問自答したが、それでもやはり、あの状況でさえ、自分がやるべき仕事は俳優という仕事、役を創るという作業だと思った。というか、そう信じようと思った。あのとき信じると決めた光は、おそらく僕の全俳優人生を照らすことと思う。

そして今日の稽古では、これまた全くもって新世界の地平線を見た。「キャラクターの創造」という役創りの段階である。これは初体験だった。キャラクターの創造とは、役の人物の内的特徴や性格が、外的な動作のクセや表情や声や身体の使い方に表れる、それを模索する作業である。

例えば今僕がキャスティングされている役は、「詩人」で、その戯曲に書かれている詩人の内的特徴をまず分析する。今回は、「夢想家、ロマンチスト」という特徴を選んだ。そしてそういう特徴を持っている他人を捜す。3人見つかった。①映画イントゥ・ザ・ワイルドの主人公、エミール・ハーシュ②映画「いまを生きる」のある人物(演出家推薦)③インドのバラナシで出会った18歳のオーストラリア人小説家

③は、お爺さんがグァテマラの元大統領、お父さんは反政府革命家、お婆さんはフィジーの元首相、お母さんも革命家で、両親はイスラエル亡命中に知り合って彼が生まれたという、数奇な運命の持ち主だ。名前をセバスチャンという。彼は地面と空が反対の惑星に住みたいと言っていた。空間の中心に太陽があり、球体上の空間の端に地面がある、そんな世界に行きたいと言っていた。その話を聞く前に、僕はそんな世界を想像して、妄想して遊んだりしていたことがあったので、その話を聞いたときは驚いた。

、、、と話はそれたが、そうやってモデルを見つけ出す。次に、そのモデルが持っている外的特徴やクセ、声のトーン、表情などから最も際立っているものを抽出する。そしてそれを自分なりのやり方で真似てみる。何度も真似てみる。

そして、その動作や、そのトーンでの発声が、自分の内面や感情に影響を及ぼすかをチェックする。影響があるなら、その特徴、そのキャラクターは自分にとって、自分の役にとって機能する、ということになる。今日の稽古では、目の玉が常に斜め上を向いている、口が常にポカンと空いている、というのを試した。試して、失敗した。

以上は今日教えてもらった「キャラクターの創造」という作業のプロセスで、僕はこれから取組むところである。これから「いまを生きる」を観て勉強する。こういった作業がおもしろくて仕方ない。

 

話は変わる。今日稽古のあとに共演者が、ものすごいテンションで話しかけてきた。話を聞くと、「昨日夢で、こーじがこの芝居降りる、できないから責任とって降りる、っていう夢を見たんだ」という。「だけどね、その夢の中の誰かが言ったんだ。」と彼女は言った。

『役というのは、自分で選んだものではない。それは天の采配で与えられたものだ。だからあなたにはそれを降りる降りないっていう選択肢はないんだよ。降りることを選ぶ資格はないんだよ。』

それを聞いて、僕は、ああ、これは神様の言葉だな、と思った。大いなる魂、宇宙の言葉、と思った。

「こーじはさ、なんでこの作品そんなに好きなの?」と彼女は聞いた。僕は改めて思いを馳せた。一通り考えて、想像して、そして答えた。

「まずね、僕はサローヤンという作家が、世界で一番好きな作家なんだ。彼の小説も、戯曲もすべて好きで、彼という人物自体をこよなく尊敬してる。そしてこの作品については、『想像力の欠如が世界や人生に何をもたらすか?』っていうメッセージを観客に提示するものだと僕は思っていて、このことは現代の、今の日本においてものすごく重要なことだと思う。この作品は第二次世界大戦前後に書かれた。サローヤンは、その戦争が起きる気配がし始めた1939年に初めて戯曲を書いた。小説家だった彼は、アメリカにはもう演劇芸術というものが存在せず、それを私が創らねばならない、そしてアメリカという国にはその材料として素晴らしすぎるものがいくらでもある、と言っていた。第二作目の戯曲は、もう第二次世界大戦が起きざるを得ない状況まで世界が追いつめられた時に書かれた。僕はその芝居をいつか創りたいと思っている。そしてついに対戦が勃発したとき、彼は言った。『これは私の責任である』と。『この戦争を始めたのは政治家や独裁者、そして資本家である。しかし戦争が始まる前、戦争が起こる必要のなかった頃に、芸術家がその仕事の責任を果たしきれなかったことが、この戦争の勃発に結果的に加担している。よって、この戦争が始まって、今日も何万の若者が命を落とすことの原因の一因は私にある。』と。僕はサローヤンのこの言葉を目にしたとき、初めて詩人という職業を選んだ人間の誇り高さを見たんだ。それは命を懸けた職業だ。事実、サローヤンの出世処女作の短編小説『空中ブランコに乗った若者』の主人公の詩人は、その高潔さと誇り高さ故に餓死する。食糧の配給があるのにそれを良しとせず、鳩にエサをやる老人にそのエサを僕に下さいと懇願する誘惑に打ち克ち、死ぬ前にハムレットを読みたいと言い、しっかりと家賃を払いきった部屋に足を引きずって戻り、1セント硬貨をハンカチで磨きながら、餓死する。餓死して、その肉体から精神が解き放たれた瞬間、彼は空中ブランコに乗って、その手をブランコから手放し、次のブランコにジャンプする。その彼は、サローヤンに起きたかもしれない現実だ。そして僕に起きるかもしれない現実だ。

そして自分が与えられた役、僕はこの役に出会ったとき、僕は一目惚れした。初めて戯曲を読んだときに、どうしてもやりたいと思った。それは初めてのことだった。どこに惚れたかというと、彼の不自由さなんだ。彼はどこまでも自由を追い求めていて、それ故に人生における不自由さにぶちあたる。何度も、色々なかたちで。そしてギリギリいっぱい土俵際で、それを克服していく。成長していく。変化していく。周囲の人もまた、自由になっていく。最後、その人生における最も高い自由まで行き着いて、彼は死ぬ。僕は彼のような人物に会ったことがある。しかも何人も。」

この人物は、詩人サローヤンが、自分自身を描いた人物。だから、僕はサローヤンという役をやることになる。それはとても誇らしいことで、とても責任に重いことで、ある基準に届かなければ舞台は中止になるということで、このハードルは僕を至極ワクワクさせる。

ということは、僕はこれに取組む価値があるということだ。人生の限られた時間を最大限使って、ここにエネルギーを注ぎ込む価値があるということだ。このハードルを超えたとき、僕は俳優として一つレベルアップできると思う。ドラクエみたいにテテレレレーレッテーって音を聞くことができると思う。そのベクトルの先には、いつか戯曲や小説を書く僕がいるかもしれない。そういう才能の発掘、ダイヤモンドや石油よりも一億倍価値のある発掘作業ができるかもしれない。

 

ということで、うんちくはこのへんにして、役創りの作業に入ります。僕はこの俳優という職業を誇りに思います。この職業に出会えたことに感動します。僕をこの職業に導いてくれた渡部さんとアニシモフさんに心からの感謝をおくります。

そしていつか、俳優という人種のためにその身を捧げる、演出家という職業をやりたいと思います。