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演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

サローヤン舞台初日を終えて

サローヤンの舞台「アレキサンドル・ドュマ以降のアメリカにおける詩の状況」の初日を終えた。

12月の稽古で上演延期を言い渡され創り直した芝居。作品世界を表現するために試行錯誤を繰り返した。パントマイムの要素を取り入れたり、一度は無声映画のように喋らない舞台にしたり、日本語と英語を織り交ぜたり。身体と声と想像力をフル稼働して創った役と芝居。もう上演できないかもしれないという場面もあったが、なんとか今日こうして上演にこぎつけた。まずそのことにおめでとう!

久しぶりの主役で立つ舞台のプレッシャーで、数日前から胃が痛かったのだけど、当日になって心身共に絶好調だった。空も真っ青で、サローヤン日和だなあと思った。

とはいえ、やっぱりものすごく緊張した。舞台に上がると同時にガッチガチで、もう仕方ないから相手に全部あずけた。そうしたら思わぬところで観客に笑いがおきて、それで少し緊張が解けた。相手にあずける、という感覚は収穫だった。

スカッと役に入りきる瞬間はなかったけれど、やっぱり本番というのは色んな発見があった。急にセリフの意味が分かったり、出来事の意味が分かったり。観客という反響装置の力を借りてエネルギーが増幅される中でしか理解し得ないものがあるのだなあと思った。

この芝居でもらったダニエルという役は、はっきり言ってそのまんま自分である。僕の人生の縮図のような物語でもあるし、彼が何のために生きてるのか、という核心がもう、自分だ。だから楽といえば楽だけど、これはもう嘘がつけない。自分の魂にかけて、自分であり続けなきゃならない。一瞬一瞬が全存在と尊厳を賭けた戦いだと思う。だからきっと、1時間の舞台で、自分の人生1年分くらいのエネルギーを天に放出している気がする。そして自分すぎる役だけに盲点がたくさんある気がする。自分のことは自分が一番分かってないかのかもしれない。

芝居全体で言うとたくさん反省点はあったけど、役作りの中で育んできたもの、稽古の中で創ってきたものは惜しみなく出せたと思う。それ以上でも以下でもなく、そのまんま出た。毎日ミラクルは起き得ない演劇という芸術。その枠組みの中で仕事は果たしたな、と思った。そしてやっぱり日々の積み重ね、これからも毎日少しずつ役に水と光と栄養を与えていこう。

そして嬉しかったのは演出家のアニシモフさんに「よくやった、成長した」と言われたことだ。たとえば観客全員にブーイングされたとしてもアニシモフさんがOKと言えばそれは芸術だ。それくらい彼の審美眼を信じている。本当に美しいとはどういうことか?針の穴を通すようなその道を、僕は行きたいのだ。目や耳を楽しませるエンターテイメントは他の誰かに任せたい。僕は真の芸術家になりたい。

芝居を初めて2年。4つの作品に出させてもらって、未熟ながら2つも主役をもらって、悪戦苦闘しながらも少しずつ歩んできた演劇芸術の道。ほんのりだけど、身体、精神、魂が新緑のように成長しているのを感じる。テクニック的にはつっこみどころ満載だろうけど、本質的な部分で少しずつ真に迫ってきている気がする。そのことが嬉しいし楽しい。

プロだと思えるようになるまで、一流だと認められるまでにいったい何年何十年かかるんだろう?という道だけど、進むと決めた道、登ると決め込んだ山、覚悟決めて前だけ見て進んでいこうと思う。

 

50年後の自分よ、あなたは今の僕をどんな風に見てますか?