演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

なぜどうして僕は舞台に辿り着いたか・・・

ドストエフスキーの「白痴」公演が終わった。密林の中でコンデンスミルクを2ℓ飲むような濃ゆい時間だった。実につかれた。

演出家アニシモフさんは今日の出来にはやや不満だったようだが、昨日の公演のことを打ち上げで大絶賛していた。「あんな芝居を観るという体験は、人生の中でも何回もない。ロシアでもアメリカでも何回もはなかった奇跡だった。オーケストラのハーモニーのような芝居。帰り道、観客が追いかけてきて日本語でありがとうとか、なんとかかんとか顔を火照らせてまくしたていてた。東京であんな顔の日本人を見ることはめったにない。でも私は日本語が話せないから走り去った。それでも観客は追いかけてきた。」

にしても、20人以上の人物が出演する3時間半もの舞台を創り上げるというのは、尋常じゃない作業だと思う。アニシモフさんは稽古中、俳優に模範演技を見せてくれるのだが、20の全ての役、全てのシーンをいつでも物凄くおもしろくやってみせてくれる。どんな映画でもドラマでも芝居でも観たことがないほど面白い演技を見せてくれる。1人の人物の役作りでさえ何年もかかる仕事なのに、いったいどういう精神構造をしてたらあんなことができるのかと驚く。「演出家という職業は宇宙飛行士の次に難しい仕事だ」と彼は言うが、本当にそうなんだろうなあ。。。

 

「・・・?」

 

ふと、いったいぜんたい何故どうして、僕はこのような場所に辿り着いたのか?と不思議に思う。小さな頃から一度も、芝居をやりたいなんて思ったことはなかった。俳優になりたいなんて1mmも描いたことはなかった。小学生の頃は漫画家になりたかったし、中学校の頃はバスケのプロ選手になりたかったし、高校生の時は宇宙物理学者になりたかったし、大学生の最後には起業家を志していた。

ん?結局のところ、それら全てを足したような職業なんじゃ・・・俳優って、アーティストのようでアスリートみたいだし、漫画家のような想像力と、宇宙に風穴開けてエネルギーを舞台に注ぎこむし、現代日本で真の演劇芸術をやる劇団をやろうなんてことは、よっぽどの起業家だ。

そして何より僕は集団創造が好きだ。バスケでも起業したベンチャーでもそこが最高に楽しかった。一番めんどくさくて、一番オモシロイところ。俳優集団と、演出家と、音響、照明、衣装、その他諸々・・・全てが有機的に組織される必要のある創造活動。。。なんてめんどくさい!!

演劇を始めて2年、自分のぺーぺーさ未熟さにうんざりする日々だけど、世界の最高峰の演出家に、最高レベルの創造プロセスを見せてもらっているのはかけがえのない財産だ。それこそ、ジョブスや松下幸之助のリーダーシップを間近で見せてもらった、吉田松陰に志を授かった、みたいなレベルだと思ってる。僕はこれまでの人生で一度も誰かに何かを教わったこと、先生を持ったことはなかったけれど、ぜんぶ自分で学んで行動してきたけれど、こればっかりはアニシモフさんに教えてもらうしかないと思う。そのことはきっと、アニシモフさんのお葬式のときに、この世界から去ったあとに本当に分かるんだと思う。それはきっと、何百年も昔から受け継がれてきた魂だ。決して絶やしてはならない灯だ。

だからきっと僕は、うんざりしながら何百回もやめようと思いながら、泣きながら笑いながら、死ぬまでこの仕事をやるのだろう。それだけの価値のある仕事、誰かがやらなきゃならない仕事、今僕が何百年も前の誰かに感謝するように、西暦3000年に生きる人々に届く何かがあるだろう。

真の創造は永遠のものだ。一回こっきりの舞台であっても、そこで放たれる何かは銀河の果てまで届いて、次の宇宙さえ創るだろう。想像力の射程距離を。もっともっと遠くへ。光の速度を追い越して。自分なんか死んでしまえ!いなくなってしまえ!

よし、次の舞台の役作りしよう。1週間後。次は主役。