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演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

ケータイを捨て、劇場へいこう。

演劇と、それを目撃する観客との関係は、まるで一人の人間と一人の人間との出会いのようであります。
それは人生と人生との出会いでもあります。

舞台に10人の俳優、10の役を見る時、観客は紛れもなく10の人生と出会う。100人の観客がそこにいるとき、僕たち俳優は100人の人生と出会うのです。
かぎりなく純粋に、偶然に、運命的に、決定的に。
命を持った、僕とあなたとの。

そこでは、魂と魂が「やあ」とあいさつをする。
それからもう二度と会う事がなくても。それでもそこで一度交わった、まぐわった人生には足跡がのこり、その後の人生に微かな光を、そして闇を投げかけます。

それによって観劇後のディナーのワインが美味しく感じられたり、
偶然その日親からきたメールに涙したり、
あるいは劇場で隣り合った誰かと、運命的な邂逅を果たしたり。

僕はダライ・ラマの講演会で隣の席に座った男によって、舞台に立つことになった。

ドラマは100×100で、一万通り。
演劇の不思議、演劇の魅力、演劇の素晴らしさ、演劇の尊さ、演劇の神聖さ。

さあ人間に遭いにこう。
劇場へ。
3時間に圧縮された幾つかの人生に、それらが織り成す物語に。
あなたの一日の八分の一を私達にください。
私達はあなたに会いたいのです。

私達の人生はまるで終わりがないかのように続いていきます。
しかし舞台上で私はピストル自殺します。しかし舞台上で私は友人を殺し、愛する妻を死においやります。
死を目撃すること、その対極としての生を目撃すること。

そして人は問う。

「わたしはいま、生きているのだろうか?YES。わたしは本当に生きているのだろうか?YES?生きているとはどういうことなのだろうか?WHAT?なぜ私は生きるのだろうか?WHY?」


それは鳩の糞があたまに青空から落ちてくるような確率かもしれませんが、この劇場の青空から、あなたの人生の景色を決定的に変える、または決定的に思い出させる、そんな鳩の糞が偶然にも、数ある客席の中であなたの客席に落ちてくることが、演劇においては起こりうるのです。

それは映画では絶対にありえない、
それはコンサートでもライブでも起こりえない、
演劇芸術という芸術行為によってのみ起こりうる、
それはまさに演劇芸術がこの世界に生まれ、
演劇芸術が必要とされ、
演劇芸術が現代という今を、息吹をもってここに生きている理由なのです。

さあ、人間に会いにいこう。
さあ、携帯を捨て、劇場へいこう。