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演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

大雪のなか想像ツアー

13年ぶりの大雪が東京で降っている。

13年前というと2001年で僕はまだ大阪にいたから、僕の知る限り東京での最大雪だ。雪で仕事も休みになって、お茶を飲みながら川上未映子さんの「愛の夢とか」を読んでいた。

今日、うちの演出家のアニシモフさんがロシアから来日した。アニシモフさんが来日すると嵐がきたり大雪が降ったり、天候がよく荒れるのは気のせいではないと思う。明後日からは舞台本番。舞台で弾くバイオリンを練習しようかと思うが、練習しなきゃ、と思う時点で楽しめてないなあと思う。

 

浮かんでは消えるイメージがある。未来のある一点。劇団の姿。音楽がそこにある。寄せては返す波のように、人が出入りする。ごはんを一緒に食べている。圧倒的に素晴らしい何かがそこにあって、僕はそれを噛みしめて泣いている。

 

演劇をやろうなんて思ったことは人生で一度もなかったのに、三十歳手前でアニシモフさんに出会ってしまい、気がつけば演劇をやるしかない人生になっている。

しかしまで演劇というものが、手のひらの上でふわふわと粉雪のように舞う様な、なんだか輪郭のはっきりしないものとして僕の中にあって、それはカタチを与えられるのを待っているように見える。しかし目には見えないものとして、はっきりと存在している。

 

人に非らず優れたもの、と書いて俳優。この言葉が初めて日本語として現れるのは日本書紀である(たしか)。その本当の意味でのこの職業は、日本で一般的にみなされているそれとは、かなり異なる。それは例えば、100年前に「政治家」と呼ばれる人々に与えられていた意味や印象と今のそれが違うように。

 

僕は本当の俳優になりたい。そして本当の人間になりたい。どうしてこの世界に人間が必要なのか?その答えとしての人間存在になりたい。

 

心意気や夢や意志だけでは、全然足りない。技と熟練がいる。声の訓練。身体の鍛錬。文学的素養。演技の核を成す、集中力と想像力。「役」を創るための戯曲分析と、人物造形をつくるための引き出し。何もかもが要るし、足りない。

そして僕は本当には、演出家になりたい。それには、音響、照明、衣装、舞台装置、、、演劇という総合芸術を成すためのあらゆる素養が必要となる。気が、遠くなる・・・

 

僕にはあと何年の人生があって、どれだけの機会と材料が僕に与えられるだろうか?

僕はいったい、どこまで行きたいのだろう?

楽しいのがいちばん、みたいな言葉があるけれど、それもまた本当だけど、それでは半分しかない。残りの半分、血を吐くような苦しみを経て、役や、舞台作品という子を出産するのだ。

アニシモフさんは言う。「演出家という仕事をやっていて、喜びや幸せを感じられることなんて滅多にありません。その多くは苦しみ、苦悩と葛藤、怒りと悲しみです。自分の創った舞台がよくなかったとき、家に帰ると死にたくなります。それでも、ほんのたまに、信じられないような素晴らしい瞬間を舞台上で目撃することがある。その一瞬にすべての意味が発露するのです。」

ロシアでは、演出家という職業は、宇宙飛行士の次に難しい仕事だと言われているらしい。あっちでは、演劇大学で俳優の訓練を受け、その上で演出家の過程を修了した人しか本当の演出家にはなれないから、それこそプロ野球選手か、もっと高い倍率の職業である。人間技とは思えないようなことをやってのける、やり続ける仕事である。

例えば今やっている、ドストエフスキーの「白痴」という作品、20以上の人物が登場し、各々の俳優が日々役作りに励んでいるわけだが、アニシモフさんは全ての登場人物の全シーンの演技を、神業のようにやってのける。稽古中に模範演技を見せてくれるのだが、いつも爆笑したり、涙がこぼれたり、胸が張り裂けるようなものを見せてくれる。

とてもじゃないけど、僕はそんな風になれないなあ、と思う。ではどんな風になれるのか?僕はどんな風になれるのか?どんな風になりたいのか?

 

可能性という一縷の望み。

人間に秘められた、火山のような才能の噴火口。地下何百メートルかにある金鉱。僕は人生で一度だけその扉が開いたことがあった。二週間だけの、神様からのプレゼントだったあの時間。人間という生き物はここまでのエネルギーをその内に秘めてるのか!と驚いた。

それを開く鍵は?「なんのために?」ということだ。なんのために演劇をやるのか?世界で起きている出来事。それをどうとらえ、どう関わっていくか?自分が行きている間に変化させるべき事象。残したい種。自分が死んだあとに世界に望むこと。そういう純粋な動機、まっすぐな思い。それが濾過されて濾過されてまっさらに広がったとき、何かが起きる気がする。始まるというか。

 

そのためには、信じることだ。自分を。世界を。演劇を。

そのためにも、一歩一歩階段を。一段一段かみしめて、味わって、笑って泣いて苦悩して、しかし目は斜め上をまっすぐに見て。

明々後日はブレヒト作「コーカサスの白墨の輪」。兵士の役と音楽家の役。誠実にこれに取り組もう。