希望
十月の新作舞台「古事記」に向けての秋季初稽古で演出家のアニシモフさんが、近代から現代にかけてのロシア人からみた歴史を語ってくれた。
人類が歩んできた道。
19世紀初頭、そこには精神の生活があった。
チェーホフが現れる頃、人間は精神の生活を失い肉体だけがあった、人々はメシを喰らい怠惰に生活を送っていた。
冷戦が始まる。
チェルノブイリは爆発する。
冷戦が終わる。
ペレストロイカが起きる。
チェチェン紛争が起きる。
そして今、ウクライナでは武器を持たない女子供が地下で虐殺される。
アニシモフさんはただ二百年の歴史的事実をただ並べただけだった。
その重みと愚かしさがスコールを浴びたように僕の全身に降りかかった。
人間。
人間と人間の営み。
そして我々は、この島国で、古事記をやるのだと。
それは大昔の日本人が遠い未来に放った希望なのだと。
これが神々の営みであり人間の営みなのだと。
重くて重くてしんどいから、軽く軽く歌うように。
悲観的なことばかりだから、羽のように、踊るように楽観的に。
アニシモフさんは言った。
「古事記における最大の事件は、天照が岩戸から出てくることではなく、天照が岩戸に隠れて世界が闇に閉ざされたときに、光がないことなど関係なく神々が歌い踊り咲(わら)ったことだ。」
人間が何百、何千万人死のうと殺しあおうと、生命の営みは途絶えない、それが究極の楽観的希望なのだと。
これはたいへんな秋になる。