演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

ロシアから帰国して腹くくる

ロシア公演を終えて日本に帰ってきて、まるで9回投げ終えたピッチャーがボールを握りしめるような、3Pシュートを放った瞬間にネットを揺らすことを確信しているような、そんな手応えがある。

演劇という、本当には結果の測定できない世界に身を投じて、ここには二択しかなくて、信じるか、信じないか、それしかなくて、その狭間で揺れてきた5年間だったけど、演劇大国ロシアでの公演を終えて、やはり一生を捧げるに値するものだと確信した。

大金を得たわけでもない、誰かから直接賛辞を送られたわけでもない、それでも、自分の納得感がある。生きている中でどうしようもなく感じる空しさや虚無感を空に打ち消すような、そんな風が吹いている。何百年も前から吹いてきて、何百年も後まで流れていく、そんな風が吹いている。

自分が選び、身悶えしながら歩んできた道は間違ってはいなかった。誰に何を言われても、こっちだ、こっちだって自分に言い聞かせながら進んできた方角は間違ってはいなかった。生きる意味のある場所にちゃんとたどり着いていた。

高杉晋作が、人生は酔狂だ、芝居を演じてるみたいなもんだ、というようなことを言っていた。シェイクスピアは、この世界は大きな劇場で全ての人間は役者だ、って言っていた。それがよく分かる。

ロシアに行ってからも迷いは消えず、国際演劇祭に招待されたと言ってもそんなのただの名前に過ぎない、それに自分が呼ばれたわけでもない、いったい自分に何ができるんだ、できることなんか何もないんじゃないか、ってずっと思ってだけど、それは所詮甘え、巧妙な言い訳、自分という人間に開き直って腹決めてそこに存在すればそれは誰にも揺るがせないんだと知った。

最後の夜、アニシモフさんに思いを告げてみた。

「ロシア公演、つい一ヶ月前まで参加を諦めてたんですが、ロシアの舞台に立てて本当に良かったです。出国直前の稽古で自分の力量に絶望して自分はもう俳優続けられないんじゃないかって思いましたが、どれだけ歩みが遅くても何十年かけても辿り着きたい場所があると分かりました。がんばりますのでよろしくお願いします。」

アニシモフさんは答えてくれた。

「役者としての技術なんてものはつまらない、そんなものは私は好きじゃない。大事なのは人格なんです。舞台に立った人間がそこでどう存在しているか、何を思い何のために生きているのか、何と戦っているのか、それに観客は心を惹かれるのです。こうじさんの成長段階の中でいま、あなたは何が真実で何が真実でないかを見分ける目を持ちました。それをあなた自身が形象化させるのが次の段階です。単なる役者なんてものらつまらない、どうか芸術家になって下さい。」

きっと迷うこともまたあるだろうけど、いまのこの気持ちと、アニシモフさんの言葉、ロシアの観客が聞かせてくれた拍手の音、そしてなんのために生きるのかという主題、そういうものを忘れずに、少しずつ少しずつ前に進んでいきたい。いつか辿り着いて、自分だけの頂から見える景色が、自分以外の誰かにも見えるように、この心を育みたい。

がんばれよ、おれ。

 

 

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