演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

行動するということ

今日も朝から舞台稽古。

稽古があるから、朝目が覚めた瞬間から幸せ。

下北沢に向かう電車の中からも、外の景色が劇的に映る。

 

今日は一度も出番はなかったけれど、

劇場空間にいるだけで精神が磨かれていく感じがする。

 

今日のアニシモフさんの言葉。

「よい演劇とわるい演劇を分けるのはただ一つ。俳優が行動しているかどうか、だ。目の前の生きた人間に向かって本当に働きかけているかどうか。観客ではなく相手役に向かっているかどうか。キャラクターやエネルギーや技術はすべて二の次だ。」

 

この点について、

30年演劇をやっている先輩が死ぬほど叱られていた。

相手に向かっていない、相手が見えていない、相手がいない。

 

行動するということはどういうことなのだろう?

一般的な言葉としての行動とはたぶんだいぶ違う。

 

先生は言う。

「感情なんかはどうでもいい。あなたが嬉しかろうが哀しかろうが知らない。私が観たいのは、あなたが真実を持って行動しているかどうかだけだ。」

 

昨日と同じシーンを今日別の俳優が稽古したのだけど、ぜんぜん違った。

今日の俳優はそのシーンで鼻水垂らして泣いていた。

昨日の俳優はそのシーンで顔色一つ変えず踊っていた。

舞台上の涙は、基本的に美しくない。

だから先生は言う。役者は舞台で泣くな。

涙なんか、家に帰って一人で流せばいいのだ。

舞台の上では行動すること。だってそこには、目の前に生きた人間がいるのだから。

 

僕は24歳くらいの時に、人生の価値というのは喜怒哀楽の総和でないかと思ったことがあったのだけど、今はいや違うなあと思う。

大事なのは、そのエネルギーがどこに向かうか、だ。なんのために誰のためにそれが使われるか、だ。

 

だから僕はこれから何十年も、行動するということについて学んでいく。

これがこの道の中心にあることなのだろう。

 

しかし先輩は言う。

「ふじいは関西弁のなまりをまず直せ」

 

はい、精進しますさかい、勘弁しておくんなます、先輩。