演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

ピロシキとウォッカ、赤の広場と白い大地

劇団のロシア遠征の記録映像の編集にとりかかる。一つにはご支援頂いたパトロン/スポンサーの方々に御礼としてお見せするため。もう一つは100年後200年後に俳優を志す人々のため。

 

大袈裟かもしれないけど、現代演劇の祖、スタニスラフスキーが日々の稽古や公演の記録を事細かに記し残したことが僕たちに方向性を示してくれているように、僕らの足跡もまた後世に生きる演劇芸術家の助けになるかもしれない。

 

 

モスクワのホテルのロビーのテレビで偶然放映されていた、ボブディランの曲がオープニングの映画が記録に残っている。そのテレビの下、公演を終えた俳優達は疲れ果てて眠っている。その映画の中、ケネディは暗殺され、少女は兵士が構える銃口に花を挿す。かつて冷たい戦争をしていたアメリカとロシア。そして日本もまたかつてロシアと戦争をした。時は流れ、歴史は移り変わり、人間はそれぞれの持ち場で生きていく。

 

古都ウラジーミル、首都モスクワで撮った、数え切れない、見切れないほどな映像を見直す。

 

誰かにとってはくだらないものでも、確かにここにはかけがえのないものがある。本当に善きもの、本当に美しいものというのは決して多くはない。

 

映像には残し得ないものの尊さを知るからこそ、僕らは舞台に立つ。しかしそれでも、映像に残すべきものがあるとも思う。

 

 

ロシアの演劇祭に招聘された、それはすごいことだ、しかしそれが何なんだ?ってずっと考えていたけど、やってみないと分からないこと、やってみれば身体で分かることがある。

 

 

つい1か月前までロシア行きを諦めていたけど、思い直して参加を決めて、本当によかった。いつか行きたかったロシアに僕は行ってきた。この身体をそこに置いてきた。あの大地とあの雲、ピロシキとウォッカ、赤の広場とモスクワ芸術座、観た芝居と観せた芝居、喜びの涙と悔しさの涙、たった9日間に永遠のような時間が詰まっていた。

 

 

まるで雲をつかむようであったロシア公演、この雲を踏みしめて、そこから高くジャンプする。高く高く手を伸ばす。神様が手をとってくれるくらいの高さへ。しかしちゃんと人間として。

 

 

 

ここからは独り

 

もう引き返すことはない

 

連れ合いは誰もいない

 

心を強く持て

 

ここにはすべてがある

 

ここには誰もいない

 

だからこそ尊いのだ

 

そしていつか誰かに届く

 

その時ようやく安堵するのだろう

 

そしていつか見た白く広大な大地のベッドで

 

温かな数々の思いに包まれてこの世界を去りたい

 

 

 

 

 

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