演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

年初めにとりあえず悩むことをやる

自分の人生の想定の範疇外の2013年が始まり、とりあえず悩む。

 

仕事とお金について、演劇と仕事について、演劇とお金について、だ。現状演劇で生活費を稼ぐことはできておらず、少なくとも短期的にそれは実現が相当難しい。となると演劇以外でお金を稼ぐ必要がある。そして今、週5時間くらい働けば生活費を稼げる営業の仕事をやっているが、この仕事があまりにも世の中に必要でないことで葛藤する。そんな仕事でお金を稼いでいていいのかと。じゃあ去年やっていたような、おにぎりを握るバイトはどうかと。あれは世の中に必要とされる仕事だった、しかしオモシロクないのだ。うむむ。だからオモシロクて、お金になる仕事は何かというと、今自分ができることではコーチングだ。しかしお金のためにコーチングをやるという構図はどうもいけすかない。

 

とまあ、色々考えるが、どっちにしろ計画とか戦略とか立てられる性分じゃないし、どうせ今年も行き当たりばったりでぎりぎりのお金を稼ぎつつ、演劇芸術に邁進することになるのではないかな。

 

とそこで問題なのが、演劇芸術に携わる事ができる時間がそんなに長くないのだ。これはアニシモフさんが年の半分は日本にいないことからも、どうしても制限がかかる。本当を言えば365日俳優修行に励んでいたい。が叶わない。とすると、何かオモシロイことに時間を使いたい。演劇以外にも世界にはオモシロイことがある。例えば好きな女の子とゴハンを食べるのは、無条件に楽しいしハッピーだ。そういう時間を積み重ねていきたいのだ僕は。なぜならいつか僕は死ぬからだ。そしてそれは明日かもしれないからだ。今日でなくてもいい活動に今日という人生で最後の日を僕は使いたくない。

 

いつか死ぬとき、あっちに持っていけるものは一つもない。お金も、家も、愛する人も。あるのは自分の魂だけだ。だとすると、本質的には人生とは自分の魂を磨いていくこと以外はほとんど周辺作業だ。そして喜びとは、他人の魂と触れることだ。かたちを持たぬ魂と魂が、なぜかどうしてか触れる瞬間だ。それは燃えるような溶けるような叫ぶような、宇宙が爆発するような感覚だ。

 

とまあインナートリップはこのへんにして、どっちにせよ、やるしかないと思う、演劇を。演劇という芸術を。僕はまだ芸術ということはよく分からないけど、それはたぶん、この世界になくてはならないものだ。人間がこの世界で存在するにおいて、どうしても必要なものだ。政治も経済も宗教もなくなったとしても、芸術はそこにあるだろう。

 

そして自分。自分の演劇芸術の追究。理想を言えば毎日8時間くらいアニシモフさんに稽古つけてもらいたい。ロシアの演劇大学生のように、寮に入って仲間と一緒に週6日、1日10時間演劇の訓練を受けたい。が、僕はその環境にはない。その僕には別の課題が課せられるということだ。日本において。演劇世界において。それはなんだろう?それはなんだろう?一つには演出家という未来。一つには劇作家という未来。そしてもう一つは、プロデューサーというか、演劇がそれを必要とする観客に届くために必要なことをやる仕事。

 

いやいや、もうちょっと足下を見ろ。今自分がやるべきことは何か?成長させるべき要素は?今へなちょこ俳優の好奇心が向かう先は?

 

書くことかなあ。書くという行為。これはなんだろう?書くというのは。次にやる役は詩人の役。舞台上で彼は詩人の仕事をしているわけではないが、本質的に彼は詩人で、そういう生き方しかできない人物。それは生き方だが、しかし書くという行動は、彼にとって必要不可欠なものだろう。書くってどういうことなんだろう?今書いているのは、ションベン垂らしているようなもので、アタマの中を駆け巡ったことを文字に落として、手と目で考えているような作業だ。だから書くというよりは考える、に近い。書くという行為には色んな目的があるのだ。では、詩や物語を書くという行為についてはどうか?それは想像力、それは現実を射抜く目、それはあっちの世界からこっちの世界にエネルギーを運ぶ作業。つまり、潜在意識を開いた状態で虚構を書くとき、それは芸術的行為となっているのではないか?人生において一度だけそういう経験がある。何時間書いていても飽きなかった、書くのをやめることができなかった。きっとああいう感覚が近いのだろう。

 

でもでも、やっぱり僕は他人と強烈に関わりたいから、書くために書くことはできない。きっとそれは三次元に立ち上がる前提で書くのでなければ、僕はできない気がする。よって、、、やっぱり俳優修行するしかない、今は。こつこつ。ならば、やっぱりもっと稽古したい!くそ、どうすればいいんだろうか?

 

誰か教えて下さい!!