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演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

夢をあきらめないこと

ぜんぜん理由も根拠もないけど、僕は演出家になるしかないと思っている。人生なに一つうまくいかないし器用にやれない。才能なんてあるかどうか分からないしやってみんと確かめようもない。「30も過ぎて芝居なんて、遅いですかね...?」って先輩に相談したら、「何やるにしても遅いよ笑」って言われた。

僕の命はあと何秒あるだろうか?太陽の周りを何周走れるだろうか?太陽だっていつか燃え尽きるなら、人間一人燃え尽きるのは当たり前だ。

ぼく一人で人間という生き物は完成しない。一つの時代をもってそれを押し進めることはできる。どうして人間なんて生きものがこの宇宙に必要なのか生まれたのか分からないし死ぬまで分からないけど、この世に生きる者にはすべて目的と意味があるのだ。意味がないわけがない。

日本はほどなく戦争に足を突っ込むかもしれない。僕の祖父母の世代が遺した反省を僕の父母の世代は活かしきれず、そして僕らはニヒルにあきらめを持って生きたせいで、その流れはもはや不可避なものになってきている。押しとどめることのできない川の流れのようになってきている。

僕はもう政治家にも起業家にもなれないしならない。自分で決めたわけでもなく、芝居という世界に出会い、心中することを誓い、今日もそこに立っている。

無力すぎて帰り道泣いている。雨が皆の上に平等に降っている。地下水は一万年かかって元に戻らないかもしれないほどに放射能に汚染されてしまった。この涙はどこに流れていくか。

いつか死ぬということ、まっすぐそこに向かって生きているということ、全ての人間に等しく与えられた運命。タイムリミットのないサッカーの試合なら、誰もがんばらない。終わりがあることを知ることはとても大事なことだ。それがいつかは分からなくても、それがいつであってもそれまでにやり遂げるべきことを設定すること。それがあれば、道半ばに倒れても、それは誰かに引き継がれる。


僕は演出家になりたい。美しい人間絵巻を描きたい。そもそも全ての人は、人と人との関わりは、いついかなるどんなものでも美しいということ、それを証明したい。

ちっちゃな宇宙で、それをぐるぐる回転させたい。下手くそでも懸命に命を燃やすこと。少年ジャンプのヒーローたちが、まだ弱っちい頃にとてもかっこいいこと、ものすごく強くなった頃にはもうかっこよくなかったりすること、そういうこと。

たぶん僕のほんとの持ち時間は、師であるアニシモフさんがこの世を去ってから訪れるのではないだろうか?その意志を継ぐと腹をくくれたときに。

10年後の僕、20年後の僕はどんな目でいまのぼくを見ているだろう?もしかしたら羨ましく思っているかもしれない。バスケを始めたばかりの中学一年生の頃を思い出すみたいに。入らないシュートを放ち続けたあの頃を思い出すみたいに。ポカリの味、バスケットシューズのにおい。コートのキュッキュッって音。


夢には味がある。想像力には手触りがある。現実よりも現実味のあるそれ。それこそが僕を後ろから突き進める。誰の目にも映らない光景が僕の眼球の裏に映る。それは他の誰にも見えないしできないこと。それは責任でもある。

365日のうち300日くらいは夢をあきらめそうになる。それは単なる妄想や勘違いなのではないかと、疑う。それは、甘えだ。

しのごの言わずにやれと。ただやれと。

ぼくは人間が好きだ。動物も植物も好きだけど、人間がいちばん好きだ。だから舞台に生きようと思う。人間だけで構成されたその宇宙で、人間以外のすべてを創る。

Human being.
人間が在ること。
それはつまりどういうことだ?



舞台なんかやってて何の意味があるんだろう?毎日思う。なんの生産性もないし、現実として何も動かさない。それはこの目では見えない。見えない。いや、見える。目を凝らせば。凝視すれば、焦点さえ合わせれば、それははっきりと見える。ぐらりと地軸が動くのが、ぐぐぐと人類が進む音が。



最終的に、僕は舞台に立つ人間ではない。そこに僕の胸はうずかない。僕は、観たいのだ、観たい世界と宇宙を、いつか観たあの景色、誰にも観せてもらうことはできない、自ら能動的に可視化するあの素晴らしい、美しい、川面に朝日が反射してキラキラ輝くようなあの光景。



生まれる前に知っていた、雲の上から観た人間絵巻を。いいなあ、って思ってた。すげえなあって思ってた。その不自由さを愛でていた。不自由さがあって自由ということを知るあの瞬間を。



人間と人間が糸みたいに紡がれて、模様を成していく。一人の人間がやることなんてつまらない。人間と人間がやることは最高におもしろい。人間、人間、人間。



いまこの地球の上に70億人。ぐるぐるぐるぐる、殺しあって愛し合って。生まれて死んで、殺して救って、助けて突き放して。

ほんとうに大切なことってなんだろう?愛する人?夢?仕事?仲間?信念?

僕が生まれる前と死んだ後に、この世界はどう違うのか?という問い。



兎に角、僕は演出家を志した。山を登り始めた。装備はない。体力はある。連れ合いはいない。独り。独りで頂上へ向かう、目を逸らさないこと。



これはマスターベーションと変わらないのだろうか。一人よがりだろか。ナルシズムだろうか。どうなんだろう。

真善美。真実と、善意と、調和。それを一同に会して、舞台化する。そこには光があり音があり人間がいる。人間がいる限り宇宙は終わらない。



では、僕はどんな演出家になり、どんな舞台を創りたいのだろうか?

それはやはり、人間が戦う姿ではないか。全力を尽くして挑む姿ではないか。何と戦っているのかは分からない。でも絶対に譲れないなにか、自分のためではない何かのために心を尽くしている姿、それは犠牲ではなく喜びと共に、哀しみと共に。己の弱さを嘆き、より強くなりたいと願い、涙し咆哮し、笑い喜び、何かを抱いて死んでいく。

ぼくはたくさん観た。たくさん観せてもらった。人間の生きる姿。美しい人間の姿。醜い人間の有様。過去も未来も背負って、今に泣き崩れる青年の鳴き声。絶望の底に一滴残った光。ぼくはもっともっと人間になりたい。



未来は、未来はあるのだろうか。未来はそこで待っててくれるだろうか。未来の僕は僕を信じてそこで待っててくれるだろうか。当たり前だ、彼が信じずに誰が僕を信じるだろう。信じるために生まれてきたのだ、彼と僕は。



人間は不完全な存在なのである。人間の存在意義は完全さにではなく、その不完全さを克服しようともがく姿にある。不完全さは各々違えど、その不完全さを克服しようともがく限り、全ての人間は発露する。精神がそこにはある。



失敗しよう!挑戦しよう!まずはやってみるしかない、やらないと何も分からない。敗北とは行動をとめることだ。百回でも二百回でも価値のないものを創りあげてみせよう。バタバタしよう。ガチャガチャしよう。



材料はすべてある。リソースは全部ある。はじめっから全部ある。そうやって生まれてきている。


信じるだけ。この目に映る未来の景色を。そして少しでも前へ前へ、勇敢さと朗らかさをもって。


今日は敗北の日、明日も挑もう。