真剣なものだけが美しい
ジャンプ
夢をあきらめないこと
演劇という山登り中のモノローグ
演劇芸術の頂。それはどこだろうか?
オリンピックの金メダルみたいに、誰かと競うものではなく、僕自身が僕自身として、この人生で登ると決めた山の頂き。
僕はそこへ辿り着けるだろうか?辿り着くまでに、何回諦めそうになるだろうか?
しかしなんと険しい道だろう。なんと罠の多い道だろう。なんと寂しい道だろう。前にも後ろにも道はない。魯迅は、私の前に道はないけど私の後ろに道はあると言った。この道は、後ろにさえそれがないように感じる。
なんだかんだ、演劇の道に片足つっこんで、4年がたった。4年もたったのに、自分の成長のしてなさに唖然とする。嘆きたくなるし、嘆いている。
しかしだ、4年たってまだ辞めていないということを、讃えよう。それは中々のことだ。4年経って大した成果も具体的な報酬も現れていないのに、まだ諦めていないのだ。まだ現実には現れていない、しかし僕の目がしっかりと捉えて話さないあの景色が、まだこの目に見える。それは他の誰にもまだ見えないし、他の誰にも着色を許さない。劇団の先輩にも、演出家にも、こればっかりは指し示せない。しかし僕は一人の夢想家としてそれを夢見る。夢でなくなるまで、へらへらと夢想し続ける。それを僕は才能とか運命とかだと思う
人には役割というものがある。それは芝居で役が割り振られるみたいに、ある。僕のそれは、俳優であり演出家である。僕は演出という仕事をしたことがない。それはサッカーをやったことのない幼稚園児が、サッカー選手になりたい、と画用紙に書くほどの幼稚さだ。この幼稚さこそが宝。
人には目的というものがある。目を向ける的のことだ。弓道の選手が、大事な大事な最後の矢を打つときのような集中力と眼差しを、僕はそこに向ける。それこそが、僕はこの職業を選ぶ理由。
全人類は未熟である。とても。僕はその一つの代表だ。未熟児の日本代表だ。よって未だ成長過程にある。では成長を促すものは何か?ごはんか?運動か?お母さんのおっぱいか?否、生きることである。本当の意味で、生きるということである。
そして演劇芸術は、それを指し示す。生きるということ。人間ということ。人間と人間が関わるということ。よって、演劇芸術は全人類の栄養足り得る。ここが出発点。
これを信じ抜くことは容易ではない。なんせ確認のしようがないのだ。結果が出ないし見えない。よってプロセスを信じ抜くしかない。いつか分かるとしたら、それは死ぬときかもしれない。
そして動機。これが大事。なぜそれをやるのかということ。目的と同様に是が大事。同じ目的を共有する同志であっても、そのモチベーションは千差万別。僕のそれは、ズバリ「子どもがメシ食えなくて死ぬこと」である。
とてもありきたりなお話だが、これは驚愕の事実である。今日も、この瞬間も、口に入れるものがなくて、心臓が止まる、まだ言葉も喋らない人間がこの世界にいるという事実。これは恐るべき事実。恐ろしい。その一端を担っている、むしろ知らず知らず加担しているという事実。それは憎むべきことだ。憎い。
そんなことリアリティを持って感じられない。とうの僕も対して感じてない。しかし、ごくたまに強烈にそれを感じる。なぜだかは分からない。そこから信じられないようなエネルギーが生まれる。そして僕は俳優修行に励むのだ。台本を手にとったり、役の分析をしたり、ロシア人演出家とちゃんと話すためにロシア語の単語を毎日勉強する。
ではなぜメシが食えなくて死なざるを得ない子どもが存在するのか?しかも1日に30000人も。毎日その数値が記録されていく。なぜどうしてそんなことになってしまうのか?原因の根本はなにか?
食糧が足りない?否。この地球で現在70億の腹を満たすのに必要な食糧はある。ではなぜそれは行き渡らないのか?経済的な理由か?政治的な思惑によってか?末期を迎えた資本主義のシステムによってか?yes、そのどれもがそうだ。では変えるべき対象は何か?そこに対して僕が取り得る手段はなにか?
そんな答えのでない自問自答を30年やり続けてきて、なぜだかどうしてだか、この歳になって、、、演劇。びっくりした。
僕は信じている。要は、人間であるということ。アインシュタインが言ってた。「我々の直面する重要な問題は、その問題を作ったときと同じ考えのレベルで解決することはできない。」つまり、単純に言うと、僕は、僕たちは変わらなければならないということだ。成長しなければならないということだ。経済ではない、システムでもない、僕たち自身が。ではどうすれば人類はより良く変化することができるのか?
そんな答えのでない問いを、同じ問いをド真面目に考え続けた人達が、ちゃんといるということに救われる。それは作家であったり哲学科であったり科学者であったり、記録も記憶も遺せなかったおばちゃんだったり。僕は一人ではない。
とまあ、全人生についての指針は整った。あとはそれを最後まで信じ続けられるかどうか?だ、
先週劇団の先輩に相談した。「この歳から俳優なんか始めて、いったい僕はどの程度までいけるのか、やれるのか、もう遅いんじゃないか?って思うんです。」
先輩は言った。「もう何をやるにしても遅いんじゃないの?w」
その通りだ!と嬉しく思った。
とまあ大義名分はあれど、僕はいちばん大切にしたい人を大切にできていない。だから、本当にぜんぜんダメだなあと思う。いったい自分に何が足りないんだろう。僕は人生をナメてるのだろうか。他人をナメてるのだろうか。自分だけが正しいと思っているのだろうか。ごめんなさい、と宇宙に対して思う。やりきれなくなって布団にくるまりたくなる。
そんなことを話せる友達がいればなあと思う。いないので自分と話す。まずは、自分が自分の良き相談相手になってやろうと思う。まずは自分の言い分をおいて、相手の話を聞いてやろうではないか。心の声を。
まるで多重人格と思う。あの大義名分を偉そうに掲げている人は誰だろうか?僕だ。確かに僕だ。掲げているときは確かに実感があるのだ。今はない。今ここにいるのは、ただ愛する人の温もりを求める人。寂しいという感情。哀しい気持ち。自己嫌悪。のような自己愛。何もかもめんどくさい。明日バイトに行きたくない。足が臭い。もう替えの靴下がない。
どうしてこんなことをわざわざ人目につく媒体に書くのだろうか?誰かに慰めてほしいのだろうか?誰かに理解してもらいたいという甘えた気持ちか?
たぶんそれは、この職業を選んだ人間としての、特性?いや職業は関係ない。僕は。僕は誰と話しているのだろうか?
・・・少し分かった。こういう感情と言葉。これが演劇の、一つの材料だということ。僕が扱うのは、一流企業のビジョンとか企業理念とか戦略とかそういうものではなく、演劇という言語。こいつと心中するということ。この甘ったれてしみったれた人格を、頂まで連れていく足腰。
よく分からないけど、今僕は何かしらの行動をとっていると思う。わりと能動的に、積極的に、何かに対して働きかけている。リズムの悪いキータッチに、何かしらの強さがある。重心の低さがある。思考するということ。考えるな、ってよく言う言葉だけど、人間に与えられた一つの能力なのだ、ならば考えるなら考え抜こう。答えが出ないなら、問いを、壁に張って、寝よう。
今日という一日に体験したことが、これを書かせている。僕は自分が書いたものをノートでも日記でもほとんど読み返さないから、この書いている瞬間になんかの意味がある。意味がないなら書かない方がいい。ではその意味とは?
分かった。
僕は激励しているのだ。僕を。僕は僕を強く励ましている。がんばれと旗を振っている。合ってるぞ、間違ってないぞ、とエールを送っている。それは僕ではない人も、誰かも同じ事をやってくれている。それがこの言語。
十年後も、二十年後も、三十年後も、この道を歩いている。ずいぶん遠くまで来たなあと感じる。孤独さはさらに増した。そこに居る人が僕を見て微笑んでいる。うらやましがっている。ここにしかない味わいを。発展途上国でしか見られない貧しさと笑顔。その輝き。失いつつある何か。今しか戦えない強い敵。そして、生きているということ。
生きている。僕はまだ生きている。死んでない。メタファーとしても。目が、まだ生きている。来週、黒澤明さんの写真集を撮ったカメラマンの方に写真を撮ってもらう。できれば、この目を、その目から覗くこの目を、見せてほしい。見てみたい。そこに映る景色を。この目が見ているものを、紙の上に焼き付けてほしい。そういうことが出来る人が世の中にはいるんだと思う。
いい役者になれるかなあ。わからんなあ。可能性は、ある。
演出家。
はあ。。。もう何回か書いちゃったし、仕方ない。し、確かに、誰かが、やれ!って言ってる気がするんだもの。それが気のせいであっても、勘違いであっても、錯覚であっても、そのカードで僕は勝負に出てみたいと思う。一点張りで。賭けるものは、全人生。
あとは日々の努力。そしてこの道のりを、可能な限りゆっくり進むこと。スピードという概念を手放す事。なぜならこの景色は二度とは見れないからだ。本当は、頂になど辿り着きたくないということ。そこから見える景色、そんなものはとうに見えているのだから。だから、この道のりを味わおう。神様がくれたプレゼント。全宇宙からの、僕岳へのギフト。僕だけ、と書こうとしたのに変換ミスでダジャレみたいになった。笑
つまり、ユーモアを忘れずに、ってこと。無邪気に、朗らかに、歌って踊ってどんちゃん騒ぎで。
そうすれば、幻であっても、そこに人は集うだろう。
記憶をとりもどす
僕は記憶を取り戻しつつある。
遠く忘れ去られた宇宙の彼方にある記憶。
なぜここにやってきて、なぜここに今生きているのか。
もう少し現世的には、なぜ僕はすべてを捨てて旅に出て、
いちばん居たくなかったこの国に根を下ろしたのか。
わけもわからず、無我夢中でパズルのピースをかき集めて
ポケットに無造作に入れていたものが、
その全体像をわずかに表し始めている。
演劇をやろうなんて、役者になろうなんて、
二十代の間、一度も思ったことなかった。
なのになぜだかこの道に片足つっこんで、気づけば頭のてっぺんまでずぼりと入ってそこで呼吸している。
その答えは、今この瞬間ことばにすることはできないけれど、
確かな手触りとして、この指先や首筋や脇腹あたりにある。
ざっくり言うと「そのまま行け!」という声。
僕は演出家になりたい。
なりたいというか、そうなるしかない運命だと思っている。
運命論は、それを信じる者のみにその洪水が押し寄せ、宇宙全体が彼をそこへ運んでいく。
自分の卑小さと矮小さと未熟さを愛せ。
針の穴ほどの可能性に全生命をぶちこめ。
今日、うちの劇団の新作、
たった26席の小劇場でそれは上演される。
たった26人がその事件を目撃し、その魂は咆哮する。
70億分の26にそのエネルギーが注ぎ込まれ、それは全宇宙に響く。
僕はずっと疑ってきた。
何十人や何百人に演劇を観せたところで、世界の何が変わるというのだろう?
この世界で起きているこの現状に対して、何ができるというのだろう?
意味なんてないんじゃないか?
今は、分かる。
まあまあしかし結局のところ、毎日しこしこ、俳優修行に取組むしかない。
この未熟さを愛して、花のつぼみに秘められた匂いを胸いっぱいに吸い込んで、
遥か高く夢を見て、刀を研ぐように志を研ぎ澄まして、
この両足で土やアスファルトをどっしり踏みしめて、
腹を立てて哀しくて歌を歌って、孤独であることをちゃんと知って、
そして生きることの喜びに胸躍らせて!、いつか来るその日まで、僕は生きていく。
いつかこの呼吸が止まるまで、いつかこの心臓が止まるまで、
この憂いに満ちた世界で笑って笑って生きていく。
それは素晴らしいことだ。
まだ生きててよかった。
がんばろう。
大雪のなか想像ツアー
13年ぶりの大雪が東京で降っている。
13年前というと2001年で僕はまだ大阪にいたから、僕の知る限り東京での最大雪だ。雪で仕事も休みになって、お茶を飲みながら川上未映子さんの「愛の夢とか」を読んでいた。
今日、うちの演出家のアニシモフさんがロシアから来日した。アニシモフさんが来日すると嵐がきたり大雪が降ったり、天候がよく荒れるのは気のせいではないと思う。明後日からは舞台本番。舞台で弾くバイオリンを練習しようかと思うが、練習しなきゃ、と思う時点で楽しめてないなあと思う。
浮かんでは消えるイメージがある。未来のある一点。劇団の姿。音楽がそこにある。寄せては返す波のように、人が出入りする。ごはんを一緒に食べている。圧倒的に素晴らしい何かがそこにあって、僕はそれを噛みしめて泣いている。
演劇をやろうなんて思ったことは人生で一度もなかったのに、三十歳手前でアニシモフさんに出会ってしまい、気がつけば演劇をやるしかない人生になっている。
しかしまで演劇というものが、手のひらの上でふわふわと粉雪のように舞う様な、なんだか輪郭のはっきりしないものとして僕の中にあって、それはカタチを与えられるのを待っているように見える。しかし目には見えないものとして、はっきりと存在している。
人に非らず優れたもの、と書いて俳優。この言葉が初めて日本語として現れるのは日本書紀である(たしか)。その本当の意味でのこの職業は、日本で一般的にみなされているそれとは、かなり異なる。それは例えば、100年前に「政治家」と呼ばれる人々に与えられていた意味や印象と今のそれが違うように。
僕は本当の俳優になりたい。そして本当の人間になりたい。どうしてこの世界に人間が必要なのか?その答えとしての人間存在になりたい。
心意気や夢や意志だけでは、全然足りない。技と熟練がいる。声の訓練。身体の鍛錬。文学的素養。演技の核を成す、集中力と想像力。「役」を創るための戯曲分析と、人物造形をつくるための引き出し。何もかもが要るし、足りない。
そして僕は本当には、演出家になりたい。それには、音響、照明、衣装、舞台装置、、、演劇という総合芸術を成すためのあらゆる素養が必要となる。気が、遠くなる・・・
僕にはあと何年の人生があって、どれだけの機会と材料が僕に与えられるだろうか?
僕はいったい、どこまで行きたいのだろう?
楽しいのがいちばん、みたいな言葉があるけれど、それもまた本当だけど、それでは半分しかない。残りの半分、血を吐くような苦しみを経て、役や、舞台作品という子を出産するのだ。
アニシモフさんは言う。「演出家という仕事をやっていて、喜びや幸せを感じられることなんて滅多にありません。その多くは苦しみ、苦悩と葛藤、怒りと悲しみです。自分の創った舞台がよくなかったとき、家に帰ると死にたくなります。それでも、ほんのたまに、信じられないような素晴らしい瞬間を舞台上で目撃することがある。その一瞬にすべての意味が発露するのです。」
ロシアでは、演出家という職業は、宇宙飛行士の次に難しい仕事だと言われているらしい。あっちでは、演劇大学で俳優の訓練を受け、その上で演出家の過程を修了した人しか本当の演出家にはなれないから、それこそプロ野球選手か、もっと高い倍率の職業である。人間技とは思えないようなことをやってのける、やり続ける仕事である。
例えば今やっている、ドストエフスキーの「白痴」という作品、20以上の人物が登場し、各々の俳優が日々役作りに励んでいるわけだが、アニシモフさんは全ての登場人物の全シーンの演技を、神業のようにやってのける。稽古中に模範演技を見せてくれるのだが、いつも爆笑したり、涙がこぼれたり、胸が張り裂けるようなものを見せてくれる。
とてもじゃないけど、僕はそんな風になれないなあ、と思う。ではどんな風になれるのか?僕はどんな風になれるのか?どんな風になりたいのか?
可能性という一縷の望み。
人間に秘められた、火山のような才能の噴火口。地下何百メートルかにある金鉱。僕は人生で一度だけその扉が開いたことがあった。二週間だけの、神様からのプレゼントだったあの時間。人間という生き物はここまでのエネルギーをその内に秘めてるのか!と驚いた。
それを開く鍵は?「なんのために?」ということだ。なんのために演劇をやるのか?世界で起きている出来事。それをどうとらえ、どう関わっていくか?自分が行きている間に変化させるべき事象。残したい種。自分が死んだあとに世界に望むこと。そういう純粋な動機、まっすぐな思い。それが濾過されて濾過されてまっさらに広がったとき、何かが起きる気がする。始まるというか。
そのためには、信じることだ。自分を。世界を。演劇を。
そのためにも、一歩一歩階段を。一段一段かみしめて、味わって、笑って泣いて苦悩して、しかし目は斜め上をまっすぐに見て。
明々後日はブレヒト作「コーカサスの白墨の輪」。兵士の役と音楽家の役。誠実にこれに取り組もう。
今日の公演。ドストエフスキー「白痴」
今日は久しぶりにドストエフスキー「白痴」の舞台に立った。ユダヤ人のエリート役人の役、ガーニャ。金のために政略結婚しようとするが失敗し破滅していく役。
半年ぶりにやる役だったけど、前より落ち着いてやれた。ただどちらにしても、役のことを全然分かってないと、分かった。演出家アニシモフさんからも「役作りの方向性はいいから、もっと自分で色々役を創ってきなさい、あなたの役なんだから」と言われた。
今日の感想。舞台はやっぱりおもしろい。もっと舞台に立ちたい。もっと稽古したい。もっともっと芝居を追究したい。一人前の役者になりたい。共演者に刺激を与えられる存在になりたい。共演者のインスピレーションの源になりたい。戯曲に秘められた謎を、媒体として観客に伝えられる人になりたい。舞台上でもっと自由になりたい。もっと想像力を、蜜柑の果汁のように瑞々しいものにしたい。そして、もっと集中力を。
俳優修行の道はこれから50年くらいは続くのだろうと思う。一朝一夕には行かない。会社で仕事をしていた時は、2〜3年である程度のスキルを身につける事はできたけど、演劇芸術は・・・道のりが長い。時間軸のスパンが、、、長い。根気のいる仕事。辞めていく人も多い仕事。だからこそ、やり続けたいと思う。
子どもの頃の遊びのように、めいっぱい無邪気になりたい。鬼ごっこでギャハギャハなったり、ドッジボール泣くまでやったり、そう言う頃の、夢中になる感じ。演劇を、そんな風にやれたら、どんなに楽しいだろう。
事実、今いちばん面白い遊びだと言える、演劇は。他にこれほど面白いと思えることは、ない。アニシモフさんと遊ぶのは(稽古つけてもらうのは)信じられないくらい面白い。
今日の舞台前の稽古でアニシモフさんは言った。
「いい人になろうとしないで下さい。それはつまらない。心を熱くして下さい。温かく、ではなく熱く。憎悪であってもないよりはいい。とにかく、生きた心をもって舞台に上がって下さい。心というものを忘れた人達に、それを見せるのが私達の役割です。だから、生きた心を、熱い心を劇場に持ってきて下さい。それさえあれば、技術上のことその他すべてはその心についてきます。」
「そして信じるものを持ってください。何を信じるかは各々の自由、ただし何でもいい、本当に信じられるものを。その信念こそがエネルギーになります。」
「役者になんて、ならないで下さい。そんなものはこの世には必要ない。芸術家に、なって下さい。芸術家としての役者、それこそが舞台に必要なのです。」
アニシモフさんに師事して3年、いつもいつも金言をもらっている。アニシモフさんがいつか死んだあとも、きっといつまでも残っているような言葉達。きっと何百年も前から、人から人へ伝えられてきた言葉なんだと思う。僕はちゃんと受けとりたい。受けとって、次へ。そのためにも、今ちゃんと生きる事。
よし、がんばろう。