演劇芸術家(卵)の修行日記

芸術としての人間模様とコミュニケーションについて。

なぜどうして僕は舞台に辿り着いたか・・・

ドストエフスキーの「白痴」公演が終わった。密林の中でコンデンスミルクを2ℓ飲むような濃ゆい時間だった。実につかれた。

演出家アニシモフさんは今日の出来にはやや不満だったようだが、昨日の公演のことを打ち上げで大絶賛していた。「あんな芝居を観るという体験は、人生の中でも何回もない。ロシアでもアメリカでも何回もはなかった奇跡だった。オーケストラのハーモニーのような芝居。帰り道、観客が追いかけてきて日本語でありがとうとか、なんとかかんとか顔を火照らせてまくしたていてた。東京であんな顔の日本人を見ることはめったにない。でも私は日本語が話せないから走り去った。それでも観客は追いかけてきた。」

にしても、20人以上の人物が出演する3時間半もの舞台を創り上げるというのは、尋常じゃない作業だと思う。アニシモフさんは稽古中、俳優に模範演技を見せてくれるのだが、20の全ての役、全てのシーンをいつでも物凄くおもしろくやってみせてくれる。どんな映画でもドラマでも芝居でも観たことがないほど面白い演技を見せてくれる。1人の人物の役作りでさえ何年もかかる仕事なのに、いったいどういう精神構造をしてたらあんなことができるのかと驚く。「演出家という職業は宇宙飛行士の次に難しい仕事だ」と彼は言うが、本当にそうなんだろうなあ。。。

 

「・・・?」

 

ふと、いったいぜんたい何故どうして、僕はこのような場所に辿り着いたのか?と不思議に思う。小さな頃から一度も、芝居をやりたいなんて思ったことはなかった。俳優になりたいなんて1mmも描いたことはなかった。小学生の頃は漫画家になりたかったし、中学校の頃はバスケのプロ選手になりたかったし、高校生の時は宇宙物理学者になりたかったし、大学生の最後には起業家を志していた。

ん?結局のところ、それら全てを足したような職業なんじゃ・・・俳優って、アーティストのようでアスリートみたいだし、漫画家のような想像力と、宇宙に風穴開けてエネルギーを舞台に注ぎこむし、現代日本で真の演劇芸術をやる劇団をやろうなんてことは、よっぽどの起業家だ。

そして何より僕は集団創造が好きだ。バスケでも起業したベンチャーでもそこが最高に楽しかった。一番めんどくさくて、一番オモシロイところ。俳優集団と、演出家と、音響、照明、衣装、その他諸々・・・全てが有機的に組織される必要のある創造活動。。。なんてめんどくさい!!

演劇を始めて2年、自分のぺーぺーさ未熟さにうんざりする日々だけど、世界の最高峰の演出家に、最高レベルの創造プロセスを見せてもらっているのはかけがえのない財産だ。それこそ、ジョブスや松下幸之助のリーダーシップを間近で見せてもらった、吉田松陰に志を授かった、みたいなレベルだと思ってる。僕はこれまでの人生で一度も誰かに何かを教わったこと、先生を持ったことはなかったけれど、ぜんぶ自分で学んで行動してきたけれど、こればっかりはアニシモフさんに教えてもらうしかないと思う。そのことはきっと、アニシモフさんのお葬式のときに、この世界から去ったあとに本当に分かるんだと思う。それはきっと、何百年も昔から受け継がれてきた魂だ。決して絶やしてはならない灯だ。

だからきっと僕は、うんざりしながら何百回もやめようと思いながら、泣きながら笑いながら、死ぬまでこの仕事をやるのだろう。それだけの価値のある仕事、誰かがやらなきゃならない仕事、今僕が何百年も前の誰かに感謝するように、西暦3000年に生きる人々に届く何かがあるだろう。

真の創造は永遠のものだ。一回こっきりの舞台であっても、そこで放たれる何かは銀河の果てまで届いて、次の宇宙さえ創るだろう。想像力の射程距離を。もっともっと遠くへ。光の速度を追い越して。自分なんか死んでしまえ!いなくなってしまえ!

よし、次の舞台の役作りしよう。1週間後。次は主役。

 

真実のもつ治癒エネルギー

今日はドストエフスキー「白痴」の公演だった。

本番前の稽古で、アニシモフさんがチェーホフの妻、クニッペル・チェーホフの話をしてくれた。「彼女は『桜の園』のラネーフスカヤ役を45年間やった。飽くことなく、それは45年間植物のように成長し続けた。役も作品も成長し続けなければならない。」

毎回テーマを持って公演して、作品を成長させていく。前回の公演では、作品の「存在方法」(雰囲気とかトーン)を中心的な課題としてやった。今回は徹底的に「交流」だった。相手役と誠実に正確にコミュニケーションすること。舞台に出たら自分の役のことは忘れて、相手のことだけを感じ考えること。

これをやったおかげで、前回3時間強だった芝居が、今回3時間50分になった!これはもう違う作品だ。今日は裏方で仕事しながら観てたが、これまでと全然質が違った。なんだか感覚としては、ドストエフスキー作品の強烈な葛藤と対立の中に、チェーホフ作品の繊細さが重ね合わされたようだった。10年間何百回とチェーホフ作品を上演してきた劇団の先輩方、すごいなと思った。こりゃあ、僕は出れないや・・と思った。

そして今日は、「真実」の力を思い知った。嘘をつかないこと。大げさな感情表現をしないこと。分かってないことを分かったフリしてやらないこと。そういうもので損なわれるものを全て排除すること。派手さはなく、見た目に地味で娯楽性はなくとも、その積み重ねた先、物語が展開して行く中で、ついに起きる奇跡を今日は目撃した。

あるシーンである女優が発していたエネルギー、それは明らかに半径50mくらいに拡散されていて、その射程距離にいた裏方の僕は否応なく、癒された。彼女の痛みと苦しみが曝されることによって、僕のそれが、傷が癒えていくのを確かに感じた。追体験芸術の芯を見た。普段あんなに優しいあの人が、舞台であんな姿を暴露するなんて。なんてこった。

真善美。どれもかけがえない要素だけど、やっぱりそれは真実から始まるのだなと思った。真実なきところに善も美もない。本当のこと。本当の人間の姿。僕は本物の人間になりたい。他でもない人間という姿カタチ、魂をもって生まれ生きてるのだから、これをやりきりたい。

演劇芸術という形式の極みによって、確かに癒される魂があるのだということ、今日は体感した。これは俳優の卵ひよこの僕にとってとても大きなことだ。料理人にとって素晴らしく美味しいものを食べる経験が大切なように。目や耳を楽しませるものでなく、魂を震わせ揺さぶるものを僕は創れるようになりたい。

そしてカーテンコールのまばゆい光の中に、20人の個性的な人物が立ち並ぶ姿は、なんかもう、美しかった。全員人間。機械じゃない、人間。CGじゃない、人間。生身の、人間。ああ群像劇って、すごいなと思った。ドストエフスキーすげー!と思った。神業。神様のお仕事だなこりゃ。

なんかこの世界の、山が高すぎて、雲の上すぎて、頂がまったく見えない。この世界の最高峰は、いったいどれだけ高いんだろう?酸素、あるかな?酸素ボンベ、ありかな?生きて帰れるのかな?おっかなドキドキする。。。

明日ももいっちょ「白痴」。明日も裏方だけど、どんな体験が待ってるかワクワクする。

ドストエフスキー「白痴」の稽古

明日からの舞台公演に向けて今日、劇場入りした。

今回は出番がないから気楽にいたら、急遽代役で稽古に上がることになった。しかも開始5分前に。勘弁してくれと思ったが、俳優修行としては有り難いことだ。

今回はドストエフスキー「白痴」の公演。「もっとも美しい人を描きたかった」とドストエフスキーが語るムィシキン公爵を主人公に物語は進行する。

僕は野心家の若い役人ガーニャという人物の役。とにかく自尊心が強くて、妬み深く、劣等感や優越感に翻弄されて破滅していく役。大金を手に入れるために恨んでいる女と政略結婚を決断するが、結局何もかもうまくいかず精神を病み、しまいには妹に養われるハメになる。舞台では、その策略に失敗するまでが内容として盛り込まれている。

10代から20代初めまで、僕はとにかく劣等感が強くてそれが生きるモチベーションだった。女の子と話せない、バスケがうまくならない、服の選び方が分からない、商社に入社したのに英語ができない、仕事もできない、芸術的なセンスがない、映画や本の知識がない、、、etc。そういうところからは抜け出たつもりだったけど、役と向き合っていくとまだまだカルマが山ほどあることを感じる。

今なお根強いのは、なんだかんだ自分は優秀だというエゴ。なんだかんだ、基本的に何をやっても秀でる、という認識。実にくだらない。そんなものは誰かをおとしめることでしか実現されない状態で、空から俯瞰して見たら常に差し引きゼロ、何の発展も進歩もない。にも関わらず、未だそんなものをエネルギーにしてる阿呆。分かっちゃいるけどやめられない。

これは結局苦しみに辿り着く。芝居の中でもさんざん他人を妬み、策を弄して成り上がろうとするが結局うまくいかず、家族や上司や婚約者になじられる。舞台上のセリフとはいえ、今日6時間そんなことをやるのは本当に辛かった。最後は気が遠くなって立ってるのもやっとになり、失神するかと思った。

そして演出家アニシモフさんにも徹底的にダメ出しされた。「相手の話を聞いてない、見えてない」「毎回同じことをやってる」「心がない」「嘘の感情でやってる」「設定が分かってない」「セリフのどこを立てるか分かってない」などなど。何もかもダメで、途中からもう異次元への穴があったら入ってどこかへ消えてしまいたい気持ちだった。たかだか32年の人生だけど、できないことも努力すればなんとか克服してこれた。芝居を始めて、これほどできないということの苦みと渋みを痛感させられるのは生まれて始めてだと思う。そしてできるようになるまでの道のりの長さよ・・遥か地平線、気が遠くなる。なんとかカタチになるのに最低でも10年かかるかな・・・

サイバーエージェントの社長、藤田晋が本で書いてた。「孤独と憂鬱と怒り、それを足したよりも上回る希望、それがこの仕事をやる動機。」なんだか、そうだなあ、と思う。

あと昨日のベケットの稽古でアニシモフさんが言ってた。「希望、絶望、希望、絶望・・・人生その繰り返しだ」それは本当にそうだなあと思う。人生の全て、人類や地球や宇宙のすべてに希望の光を見たかと思うと、翌日には憂鬱で生きることすら面倒くさくなる。でもそれは本当の希望を、中途半端なものでなく、普遍的で絶対的な何かを追究しているからだと思う。

初めてもらった役が、鬱で絶望してピストル自殺する役だった。絶望ってよく分からないなあと思って親友に「絶望ってどんな感じ?よく分からないんだ」と聞くと「何言ってんの、こーじは基本的に絶望してるじゃない」と言われた。「自分の中のいちばん低くて深いところで、いちばん上を見て泣きながら口笛吹いてる感じ」とも。

「音楽」は音を楽しむと書いて音楽で、決して未来永劫「音悲」という単語は生まれないだろう。にも関わらず、「ギリシャ悲劇」は何千年も前からあって、未だ現代人によって上演される。それは人間そのものを描くからだろう。それは人間そのものを創るからだろう。そしてそれを観にくる人がいる。必要とする人がいる。なぜか「ギリシャ喜劇」を観たがる人はいない。

人間・・・めんどくさい・・・

あーあ、明日も稽古、そして本番。出ないけど、あーあ、やりたくないけどやるしかないし、結局のところ、心底やりたい。

 

サローヤン舞台初日を終えて

サローヤンの舞台「アレキサンドル・ドュマ以降のアメリカにおける詩の状況」の初日を終えた。

12月の稽古で上演延期を言い渡され創り直した芝居。作品世界を表現するために試行錯誤を繰り返した。パントマイムの要素を取り入れたり、一度は無声映画のように喋らない舞台にしたり、日本語と英語を織り交ぜたり。身体と声と想像力をフル稼働して創った役と芝居。もう上演できないかもしれないという場面もあったが、なんとか今日こうして上演にこぎつけた。まずそのことにおめでとう!

久しぶりの主役で立つ舞台のプレッシャーで、数日前から胃が痛かったのだけど、当日になって心身共に絶好調だった。空も真っ青で、サローヤン日和だなあと思った。

とはいえ、やっぱりものすごく緊張した。舞台に上がると同時にガッチガチで、もう仕方ないから相手に全部あずけた。そうしたら思わぬところで観客に笑いがおきて、それで少し緊張が解けた。相手にあずける、という感覚は収穫だった。

スカッと役に入りきる瞬間はなかったけれど、やっぱり本番というのは色んな発見があった。急にセリフの意味が分かったり、出来事の意味が分かったり。観客という反響装置の力を借りてエネルギーが増幅される中でしか理解し得ないものがあるのだなあと思った。

この芝居でもらったダニエルという役は、はっきり言ってそのまんま自分である。僕の人生の縮図のような物語でもあるし、彼が何のために生きてるのか、という核心がもう、自分だ。だから楽といえば楽だけど、これはもう嘘がつけない。自分の魂にかけて、自分であり続けなきゃならない。一瞬一瞬が全存在と尊厳を賭けた戦いだと思う。だからきっと、1時間の舞台で、自分の人生1年分くらいのエネルギーを天に放出している気がする。そして自分すぎる役だけに盲点がたくさんある気がする。自分のことは自分が一番分かってないかのかもしれない。

芝居全体で言うとたくさん反省点はあったけど、役作りの中で育んできたもの、稽古の中で創ってきたものは惜しみなく出せたと思う。それ以上でも以下でもなく、そのまんま出た。毎日ミラクルは起き得ない演劇という芸術。その枠組みの中で仕事は果たしたな、と思った。そしてやっぱり日々の積み重ね、これからも毎日少しずつ役に水と光と栄養を与えていこう。

そして嬉しかったのは演出家のアニシモフさんに「よくやった、成長した」と言われたことだ。たとえば観客全員にブーイングされたとしてもアニシモフさんがOKと言えばそれは芸術だ。それくらい彼の審美眼を信じている。本当に美しいとはどういうことか?針の穴を通すようなその道を、僕は行きたいのだ。目や耳を楽しませるエンターテイメントは他の誰かに任せたい。僕は真の芸術家になりたい。

芝居を初めて2年。4つの作品に出させてもらって、未熟ながら2つも主役をもらって、悪戦苦闘しながらも少しずつ歩んできた演劇芸術の道。ほんのりだけど、身体、精神、魂が新緑のように成長しているのを感じる。テクニック的にはつっこみどころ満載だろうけど、本質的な部分で少しずつ真に迫ってきている気がする。そのことが嬉しいし楽しい。

プロだと思えるようになるまで、一流だと認められるまでにいったい何年何十年かかるんだろう?という道だけど、進むと決めた道、登ると決め込んだ山、覚悟決めて前だけ見て進んでいこうと思う。

 

50年後の自分よ、あなたは今の僕をどんな風に見てますか?

 

 

数ある芸術のなかで、なぜ演劇芸術を選んだのか?

って、考えて選んだわけじゃなく、出会ったってだけなのだけど、今日ふと思った。その答えは、

「ものすごくお金がかかる芸術だから」

じゃないだろうか、と。一つの側面としてね。

ミュージシャンが羨ましいな、と思う事がある。彼らは楽器一つ背負って、ストリートへ出て、演奏を始める事ができる。お金のためではなくとも、ギターケースを開いておけば、2時間後にはメシを食うくらいのお金は入っているだろう、通行人からの「サンキュー」という言葉として。

絵描きは、紙と鉛筆があれば、それをやれる。

小説家もそうだ。

舞踏家は?身体一つ、いつだってどこだって。

 

そして翻って演劇芸術。これはほんとに難儀だと思う。まず、根本的に、一人でできない。一人舞台ってのもあるが、これは演劇芸術ではない。演劇芸術は「他人とのエネルギーの交流」を前提にしているからだ。

そして、公演を打つとなると、劇場が必要になる。これは、まとまったお金を要することだ。そして照明、音楽、衣装、、、。とにかくお金がかかる。

そして稽古。集団にもよるが、うちの劇団はなんと十月十日の時間をかけて作品を創る。から、20人で1年近くエネルギーを費やしていく、というのは途方もない作業だ。

と、総じて、とにかくお金がかかる。そして多くの役者が、職業病として貧乏人となる。まるでカルマのようにそれを背負って日々の生活を送り、人生を創っていく。そして、、、多くの役者が途中でその人生を降板することになる。

そういった問題を抱える以上、組織の問題になってくる。集団芸術である以上、組織化が必要で、その理念やリーダーシップが必要になる。バラバラでは良い物は創れないし、人がいなくなれば、創造自体が不可能となる。

と、いうことで、現代日本において、本当の意味で「演劇芸術」をやるというのは、至難の業であり、いばらの道なのである。うちの演出家アニシモフさんが居た、旧ソ連では国家からお金が出ていたから前提が違ったが、資本主義国で、マネーが制する社会でそれをやる以上、その葛藤と衝突は避けられない。

なんてめんどくさい道を選んだものかと途方にくれるが、逆を返すと、これほどやりがいのある仕事はない。取組む価値がある、立ち向かうべき課題、人生の主題だ。エベレストを縦に3個つなげた山に登るようなものだ。大気圏を突き抜ける偉業に挑戦するのだ。

そう、これはまぎれもなく「挑戦」だ。自分からの挑戦でもあるし、演劇芸術から突きつけられた挑戦でもある。僕は問われているのだ。「おまえはこの状況で、どう存在し、どう行動する?」と絶えず問われている。

ここにおいては、物事の見方が世界の鍵となる。「難しい、むりだ」と見るとゲームオーバー、あきらめたら試合終了ですよ、だ。「難しい、最高だ」と見るとき、それは遥かなる雲上の山頂を見やる登山家の魂となる。命を懸けて取り組むのだ。死を覚悟して歩みを進めるのだ。

酸素ボンベなしで8000m級の山を全て制覇した登山家が言っていた。8000mを超えた山を登るとき、8000を超えると、神の領域に入るという。その領域においては、「失敗したらどうしよう」とか「家に残してきた家族は自分が死んだらどうするだろう」とか不安や心配を一瞬でもすると、それが心拍数や血流に悪影響を及ぼし、酸素が足りなくなり、即、死につながるという。おそらく、僕が登ろうとしている山は、そういう山だ。

 

話がずれたが、「お金」そして「組織」だ。

これは、なぜブッダが世界に何千何万の寺院を建立できたか、という話につながると思う。ブッダは経済に精通していたわけでも、金儲けの才能があったわけでも、組織マネジメントのプロであったわけでもない。しかし、何百何千年の時を経て今、日本やアジアの各国でこれだけの影響力をもっている。

演劇における、劇場やその演劇術/演劇法も同じ事が言えるのではないか。100年以上前にその礎を創ってくださったスタニスラフスキー。その志を脈々と継ぐ、アニシモフさんを始めとする偉大な芸術家たち。その魂は紛れもなく、僕たちにも浮け継がれている。吉田松陰の死後に高杉晋作伊藤博文が命を賭して革命を成したように。

この視点に存在しているかぎり、「お金」や「組織」の問題は、楽勝だと思う。はっきり言って、課題としては大したことない話だ、本当に素晴らしい役や演劇作品を創ることに比べれば。だからこそ、しっかりやり遂げなきゃと思う。大義から目をそらさない限り、自分の名誉や欲望に溺れない限り、無限の存在が絶えず力を貸してくれるだろう。

そのためには、「無」になることだ。直感だが、キーはそこにあると思う。

キャラクターの創造についてのフレームワーク(実験段階)

今日習った「キャラクターの創造」のメソッドにのっとって、過去に創った4つの役を振り返って、気づいたことを記す。

 

①イワーノフ(チェーホフ作「イワーノフ」)

内的特徴:誠実さ、真摯さ

欠点:完璧主義、純粋さ、繊細さ

克服しようとしていること:依存

 

②ガーニャ(ドストエフスキー作「白痴」)

内的特徴:極端な自尊心、自分は特別な人間だという思い込み

欠点:本当は極端な恥ずかしがり屋であること

克服しようとしていること:他人からの侮辱、見下し

 

③ダニエル(サローヤン作「アレキサンドラ・ドュマ以降のアメリカにおける詩の状況」)

内的特徴:夢想家、ロマンチスト

欠点:現実逃避、社会不適合者、地に足着いてない夢見る夢男ちゃん

克服しようとしていること:肉体を持った人間として生きる不自由さ

 

④木魚頭/初年兵(ブレヒト作「コーカサスの白墨の輪」)

内的特徴:生意気さ、イタズラ好き、関西で言う”ボケ”

欠点:空気読めなさ、臆病さ

克服しようとしていること:ヒエラルキーの存在、束縛、常識

 

 

これはオモシロイ。これはすごくオモシロイ。このフレームワーク、今思いついたものだが結構使えるかもしれない。完成されたフレームではないけど、プロトタイプとして実験していく価値あり。仮説→検証を何度かやってみよう。

 

役創りという仕事のおもしろさ、サローヤンの芝居の素晴らしさ

今日は、

僕の天職である『俳優』という職業がどれだけ面白く苦しく奥深く、今現在の僕がどれだけこの仕事を楽しんでいるか、という話を書きたいと思う。

今日はもう一つ、

天才と一緒に仕事をする職業がどれだけ面白く苦しく奥深く、今日時点での僕がどれだけこの仕事によって成長させてもらっているか、という話を書きたいと思う。

 

僕が学んでいる演劇芸術は、スタニスラフスキーシステムによるものである。このシステムはロシアで100年以上前に生まれた演劇手法で、それを一言で説明するならば、「舞台上で意識的に潜在意識を開くシステム」である。

だから、このブログにおいても、「書く」という行為に取り組みながら、いかにして潜在意識を開くか、ということを追究してみたいと思う。ただの稽古日記や思索日誌にしないでおこうと思う。

 

今日は久しぶりに稽古をした。1ヶ月ぶりくらいだろうか。5月にやる舞台、サローヤン作の「アレキサンドラ・デュマ以降のアメリカにおける詩の状況」という作品。70年ほど前の古典戯曲。

久しぶりに稽古をして思ったこと。ああ、僕はものすごくこの芸術が好きだなあ、ということ。まず久しぶりに劇場に入って、劇場という空間にドキドキした。まるでそこには想像力による自由が無限大に約束されているような宇宙のような広がりを感じた。そして共演者という存在、集団芸術であるということ。一人で生み出す芸術と比べて、そこには無限大の組み合わせと可能性がある。自分がどうしようもなくヘナチョコな時に、目の前で共演者が奇跡のような演技を見せ、それに触発されて自分が空を飛べるようなときもある。そして音楽、そもそも僕は音楽家(二流)だったので、音楽自体はこよなく愛している。演劇芸術においては、どういう音楽を使うかという側面もあって、生演奏も使えて、これは、ヤバイ。そして照明。光なんて生き物、それ自体で信じられないほど美しいのに、それを意図的に創って舞台を照らすなんて、ちょっと反則とも言える仕業だ。

そして何より「役の創造」という作業。これこそが俳優芸術。俳優が全責任を委ねられる仕事。これはちょっと、おもしろいなんてものではない。そして相当に苦しいところもまた素晴らしい。普通に生活していれば絶対に見たくないもの、思い出したくない過去、記憶からさえ抹殺されたようなトラウマ、そういうものさえ扱う。役を創る、という目的のために。容赦なしにそれが要求される。例えば3.11の震災のとき、僕は鬱でピストル自殺する役の準備をしていたのだが、これはきつかった。こんなことやっている場合か?福島や宮城に行って肉体を動かすボランティアをやる方がいいんじゃないか?って一万回くらい自問自答したが、それでもやはり、あの状況でさえ、自分がやるべき仕事は俳優という仕事、役を創るという作業だと思った。というか、そう信じようと思った。あのとき信じると決めた光は、おそらく僕の全俳優人生を照らすことと思う。

そして今日の稽古では、これまた全くもって新世界の地平線を見た。「キャラクターの創造」という役創りの段階である。これは初体験だった。キャラクターの創造とは、役の人物の内的特徴や性格が、外的な動作のクセや表情や声や身体の使い方に表れる、それを模索する作業である。

例えば今僕がキャスティングされている役は、「詩人」で、その戯曲に書かれている詩人の内的特徴をまず分析する。今回は、「夢想家、ロマンチスト」という特徴を選んだ。そしてそういう特徴を持っている他人を捜す。3人見つかった。①映画イントゥ・ザ・ワイルドの主人公、エミール・ハーシュ②映画「いまを生きる」のある人物(演出家推薦)③インドのバラナシで出会った18歳のオーストラリア人小説家

③は、お爺さんがグァテマラの元大統領、お父さんは反政府革命家、お婆さんはフィジーの元首相、お母さんも革命家で、両親はイスラエル亡命中に知り合って彼が生まれたという、数奇な運命の持ち主だ。名前をセバスチャンという。彼は地面と空が反対の惑星に住みたいと言っていた。空間の中心に太陽があり、球体上の空間の端に地面がある、そんな世界に行きたいと言っていた。その話を聞く前に、僕はそんな世界を想像して、妄想して遊んだりしていたことがあったので、その話を聞いたときは驚いた。

、、、と話はそれたが、そうやってモデルを見つけ出す。次に、そのモデルが持っている外的特徴やクセ、声のトーン、表情などから最も際立っているものを抽出する。そしてそれを自分なりのやり方で真似てみる。何度も真似てみる。

そして、その動作や、そのトーンでの発声が、自分の内面や感情に影響を及ぼすかをチェックする。影響があるなら、その特徴、そのキャラクターは自分にとって、自分の役にとって機能する、ということになる。今日の稽古では、目の玉が常に斜め上を向いている、口が常にポカンと空いている、というのを試した。試して、失敗した。

以上は今日教えてもらった「キャラクターの創造」という作業のプロセスで、僕はこれから取組むところである。これから「いまを生きる」を観て勉強する。こういった作業がおもしろくて仕方ない。

 

話は変わる。今日稽古のあとに共演者が、ものすごいテンションで話しかけてきた。話を聞くと、「昨日夢で、こーじがこの芝居降りる、できないから責任とって降りる、っていう夢を見たんだ」という。「だけどね、その夢の中の誰かが言ったんだ。」と彼女は言った。

『役というのは、自分で選んだものではない。それは天の采配で与えられたものだ。だからあなたにはそれを降りる降りないっていう選択肢はないんだよ。降りることを選ぶ資格はないんだよ。』

それを聞いて、僕は、ああ、これは神様の言葉だな、と思った。大いなる魂、宇宙の言葉、と思った。

「こーじはさ、なんでこの作品そんなに好きなの?」と彼女は聞いた。僕は改めて思いを馳せた。一通り考えて、想像して、そして答えた。

「まずね、僕はサローヤンという作家が、世界で一番好きな作家なんだ。彼の小説も、戯曲もすべて好きで、彼という人物自体をこよなく尊敬してる。そしてこの作品については、『想像力の欠如が世界や人生に何をもたらすか?』っていうメッセージを観客に提示するものだと僕は思っていて、このことは現代の、今の日本においてものすごく重要なことだと思う。この作品は第二次世界大戦前後に書かれた。サローヤンは、その戦争が起きる気配がし始めた1939年に初めて戯曲を書いた。小説家だった彼は、アメリカにはもう演劇芸術というものが存在せず、それを私が創らねばならない、そしてアメリカという国にはその材料として素晴らしすぎるものがいくらでもある、と言っていた。第二作目の戯曲は、もう第二次世界大戦が起きざるを得ない状況まで世界が追いつめられた時に書かれた。僕はその芝居をいつか創りたいと思っている。そしてついに対戦が勃発したとき、彼は言った。『これは私の責任である』と。『この戦争を始めたのは政治家や独裁者、そして資本家である。しかし戦争が始まる前、戦争が起こる必要のなかった頃に、芸術家がその仕事の責任を果たしきれなかったことが、この戦争の勃発に結果的に加担している。よって、この戦争が始まって、今日も何万の若者が命を落とすことの原因の一因は私にある。』と。僕はサローヤンのこの言葉を目にしたとき、初めて詩人という職業を選んだ人間の誇り高さを見たんだ。それは命を懸けた職業だ。事実、サローヤンの出世処女作の短編小説『空中ブランコに乗った若者』の主人公の詩人は、その高潔さと誇り高さ故に餓死する。食糧の配給があるのにそれを良しとせず、鳩にエサをやる老人にそのエサを僕に下さいと懇願する誘惑に打ち克ち、死ぬ前にハムレットを読みたいと言い、しっかりと家賃を払いきった部屋に足を引きずって戻り、1セント硬貨をハンカチで磨きながら、餓死する。餓死して、その肉体から精神が解き放たれた瞬間、彼は空中ブランコに乗って、その手をブランコから手放し、次のブランコにジャンプする。その彼は、サローヤンに起きたかもしれない現実だ。そして僕に起きるかもしれない現実だ。

そして自分が与えられた役、僕はこの役に出会ったとき、僕は一目惚れした。初めて戯曲を読んだときに、どうしてもやりたいと思った。それは初めてのことだった。どこに惚れたかというと、彼の不自由さなんだ。彼はどこまでも自由を追い求めていて、それ故に人生における不自由さにぶちあたる。何度も、色々なかたちで。そしてギリギリいっぱい土俵際で、それを克服していく。成長していく。変化していく。周囲の人もまた、自由になっていく。最後、その人生における最も高い自由まで行き着いて、彼は死ぬ。僕は彼のような人物に会ったことがある。しかも何人も。」

この人物は、詩人サローヤンが、自分自身を描いた人物。だから、僕はサローヤンという役をやることになる。それはとても誇らしいことで、とても責任に重いことで、ある基準に届かなければ舞台は中止になるということで、このハードルは僕を至極ワクワクさせる。

ということは、僕はこれに取組む価値があるということだ。人生の限られた時間を最大限使って、ここにエネルギーを注ぎ込む価値があるということだ。このハードルを超えたとき、僕は俳優として一つレベルアップできると思う。ドラクエみたいにテテレレレーレッテーって音を聞くことができると思う。そのベクトルの先には、いつか戯曲や小説を書く僕がいるかもしれない。そういう才能の発掘、ダイヤモンドや石油よりも一億倍価値のある発掘作業ができるかもしれない。

 

ということで、うんちくはこのへんにして、役創りの作業に入ります。僕はこの俳優という職業を誇りに思います。この職業に出会えたことに感動します。僕をこの職業に導いてくれた渡部さんとアニシモフさんに心からの感謝をおくります。

そしていつか、俳優という人種のためにその身を捧げる、演出家という職業をやりたいと思います。